世界を変えるデザイン


 

 大学でデザインの勉強をしています。


 製品のデザインを考えたり、ロゴのデザインを考えたり、とりあえず「デザイン」っぽいことは一通り授業で実践している現状です。毎週課題の締め切りがあってヒィヒィしているのですが、デザイナーになったら一生こんな多忙が続いてしまうのかと思うと、早くも路線変更したいという願望が表れてきてしまいます。


 「デザインを勉強する」と一言で表しても、どんなことを勉強しているのかあまりイメージできないと思います。


 実はこれ、私自身も言葉で言い表すのが難しいのです。デザインの授業はほとんどの場合「習うより慣れろ」の精神が一貫していて、教科書でじっくり知識を蓄えていくようなことはほとんどしないのです。一応、デザインの歴史を学ぶ授業では分厚い教科書を使いましたが、単位をもらった後は一度も開いていません。何となくカッコイイから、という理由で本棚の一軍に置いてはいるのですが。


 やはりデザイナーは手を動かしてこそ。「デザインはこうすれば良い!」という方法論が書かれているような本は使いません。


 では先生たちはどうするのかというと、


「来週までに食器のデザインを考えてきてくださいね」


と未知の大海原に学生をポーンと突き放すのです。こんなことされたら、「いやぁ、突き放されたなぁ」とポリポリ後頭部を掻くことしかできないんですよね。食器のデザインなんてどうすりゃいいか分からない。スプーン1つにしたって、持ち手の厚みや長さ、すくう部分の大きさや深さなど、決めなければいけないことが大量にあります。どこをどう調節したら最適な形になるのか分からないですし、そもそも求められているのは基本的に「それまでなかったデザイン」なので、普段慣れ親しんでいるような無難なデザインを再現しても何も意味が無いのです。


 何から始めたらいいか分からなくて、後頭部ポリポリに拍車がかかります。でも後頭部を掻いたところでデザインが浮かぶわけではないですから、とりあえず家にあるスプーンを参考にしようとスケッチから始めるのです。


 こうやって何も知識を与えられないまま素っ裸で体当たりをしていくことが、デザインの授業には多いです。とりあえず締め切りまでに完成させて、先生からダメ出しを喰らって何となく学びを得る。その繰り返しのように思えます。


 素っ裸で体当たりの授業でしたが、今ではさすがに素っ裸じゃなくなりました。ある程度自分の中で方法論が確立してきて、ジャージくらいは着れている、という具合です。入学して1年半が経ってもまだ素っ裸でいては学費の無駄遣いってもんです。まだラフな格好しかできていませんが、いつかはスーツを着れるようになりたいです。


 そうなると今度は、普段生活している環境に違和感を覚えはじめます。


 街を歩いていて、


「あれ? みんなデザインを適当に済ませちゃってるなぁ」


と思う事が増えるのです。粗さに目が行ってしまうといいますか。別に、粗さがあること自体は問題ではありません。問題なのは、


「デザインが適当でも、世界は不自由なく動いているなぁ……」


と気づいてしまうことなんです。


 例えば、ポスター。見出しの文字は大きめで、なるべくゴシック体の方が認識しやすい、とか。背景色と文字色の間には明るさの差をつけた方がいいとか、写真の並べ方によってメッセージ性が変化していく、とか。ざっくりとした事しか言えないのですけど(如何せんまだジャージですので)、受け手に内容が伝わりやすいポスターを作るには、考慮しなければいけないことが色々あるんです。


 しかし、街の掲示板などを見てみると、それらの要素を清々しいほどまでに無視したデザインに溢れています。


「えぇ!? 見出しをそんな細いフォントで!?」


「えぇ!? 左端揃えと中央揃えをごちゃ混ぜに!?」


「えぇ!? 白黒写真が小さすぎてのり弁にしか見えなくない!?」


「えぇ!? 文字が虹色!?」


と、ビックリすることが多々あります。明らかに見づらいだろう、と思うデザインは沢山あります。


 でも、これで世界は回るんです。ある程度デザインのノウハウを知っている人がああだこうだと文句を言うだけであり、別に見出しが細くても、文字が虹色でも、世界はなんの不自由もなく回ります。


 じゃあデザインって、一体なんのためにあるのでしょうか?


 本当は人々の生活に根ざしてなんかいなくて、ただ意識高い系の人を満足させるためだけにあるのでしょうか?


 そこのところは、まだ私も分かっていません。文字ではいくらでも「デザインは人の意識を、そして世界を変える!」と言えるのですが、どうも実感が伴っていません。


 最後に、こちらの写真をご覧ください。

 



 道を歩いているときに見つけたものです。これの用途は恐らく、ゴミ捨て場にかけておくネットが風で飛ばされないようにする重りです。


 注目すべきは、この持ち手。黒いU字型の持ち手がさも当然のように鎮座しています。


 でもこれ、ブックエンドなんです。持つとすごく手に刺さるんです。多分、「これ持ち手に丁度いい形じゃ-ん!」と重りに巻き付けたのでしょうが、持つと肉がえぐられるんです。わざわざ付けた持ち手に攻撃を受けてしまうのが面白くて、写真に撮りました。


 おそらくこの重りは、ずっとこのままです。


 世界は今日も、デザイナーの居ないところで回っていきます。もしどこかのデザイナーがすっごく持ちやすくて合理的な「ゴミ捨て場用重り」を開発しそれが町中に普及したら、この面白い重りはもう見られなくなってしまうのでしょうか。


 産業の発展に呼応して成長してきた合理主義的なデザインは、こういった非合理的なモノたちが作る面白さを排除していく気がします。


 できれば、面白いままがいいんですけどねぇ。

 



 

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