最低なまま過ぎた日々へ 2


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 ここで一度、自分にとって「戦争」はどんなものなのか、腰を据えて整理しようと思う。現在の自分のルーツを探る「自己分析」は、就職活動においても重要であり、近いうちに私を苦しめることになるはずである。ここで一度その練習をしておいても良いではないかぁ~!と思う。

 私がこの世界に生まれたのは2003年(平成15年)であるが、この年に起こった「戦争」の話題といえば、イラク戦争であろうか。2003年3月20日、イラクによる大量破壊兵器保持における武装解除進展義務違反を理由として、アメリカ合衆国が主体となってバアス党政権下のイラクへ進行したことで始まったこの戦争。同年の12月9日、日本政府はイラク復興支援特措法に基づき、自衛隊を同国へ派遣する計画を閣議決定した。「これって日本国憲法的にどうなの」という指摘もあったが、当時の小泉純一郎首相は「憲法前文の理念に合致した人道支援」と強調し、派遣決定に踏み切ったようだ。令和の世で「オモシロ構文を作った人」扱いになってしまった小泉進次郎の父だということを考えると、他人事ながら月日の流れを感じる。

 さぁ、ならばイラク戦争のことについて書こうかという流れになりそうだが、情けない話そうなることはできない。なぜなら私はイラク戦争についてほとんど知らないのだ。同情の余地がない勉強不足である。前段落に書いたイラク戦争に関する説明は大部分がネット記事からのコピペである。まるでジャーナリストかの如くドヤ顔で綴った文章は私の言葉ではない。2003年に自衛隊派遣が決まったことも調べてみて初めて知ったし、「バアス党政権」という言葉も初めて知った。唯一知っていたのは小泉進次郎が作ったオモシロ構文のみで、ある意味健全なネット世代男性とも言えよう。

 イラク戦争について「単語は知っている」くらいの知識しか持ってない以上、「自分にとって戦争とは何か」という文脈においてイラク戦争を登場させてはいけないのではないか。強いて言うなら「教科書で知った戦争コーナー」で名前を挙げるべきであり、ネットでせこせこ調べた戦争をさも自分の戦争観のルーツかのように語ることは好ましくない。背伸びするなバカチン、ということだ。ここで語るべきは教科書的な歴史ではなく、自分史なのである。

 なら私は、「北朝鮮」という単語を挙げざるを得ない。幼少期の私にとって、「戦争」といえば「北朝鮮」であった。

 北朝鮮の話題に移る前に、イラク戦争について記述する際に参考した記事のURLを載せておく。参考文献としてがっつりWikipediaを載せるあたり、私の程度の低さが伺える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/イラク戦争

【図解・社会】平成を振り返る、2003年10大ニュース:時事ドットコム
グラフィック・図解: ◇国内10大ニュース 1位・自衛隊イラク派遣決定、「戦闘」下で初  政府は12月9日の臨時閣議で、イラク復興支援特措法に基づき自衛隊を同国に派遣する基本計画を閣議決定した。戦闘状態が続く外国への初の派遣。憲法上の疑義も指摘されたが、小泉純一郎首相は憲法前文の理念に合致した人道支援と強調し、派遣決定...

 では北朝鮮の話に戻る。ここからはネットの記事に頼ることなく、自分の頭から出た言葉で書いていこうと思う。

 幼少期の私にとって、「隕石」と「北朝鮮」は恐怖のツートップであった。まず「隕石」。隕石は本当に怖くて、単語を聞くだけでも嫌であった。もちろんイメージしていたのは鼻くそのようなしょぼいものではなく、惑星が丸ごと地球に降ってくるような巨大なものである。それは即ち人類滅亡を意味する。

 それなりに生きてきて天文学に関する一般素養も身につけた今となっては、「そんなナントカマゲドンみたいなこと自分が死ぬまでに起こるわけなかろう」とのんびりしているが、当時の私はそんな風にはいかない。宇宙空間は闇雲に惑星をぶっ壊そうとする隕石にまみれていると信じていたし、地球はどういうわけか太陽の周りをグルグルまわっているのだから隕石がぶつかるのは時間の問題だと思っていたし、「じっとしてろよバカ!」と地球に対して憤りすら感じていた。もし天動説の存在を知らされたら真っ先に信じていたことだろう。

 隕石が来て人類滅亡。これは当時の私が抱いていた最悪のシナリオだ。日常生活でも度々思い出すことがあり、誕生日プレゼントを買いにトイザらスへ連れて行ってもらったときでさえも「でも、いつかは隕石が来て人類は滅びるんだろうなぁ……」

と想像して落ち込むことがあった。わざわざ息子にプレゼントを買ってやりに来たのにも関わらず、当の本人が喜ぶどころかいつ来るかも分からない巨大隕石に頭を悩ませているだなんて、親からしたら興ざめである。しかし、それほど真剣に隕石の襲来を心配していたのだ。

 以上が「隕石」の話。では、お次は「北朝鮮」の話に移る。

 隕石についてかなり敏感になっていた(例:流れ星が苦手になる)当時の私にとって、北朝鮮が撃つミサイルとは、「人がわざわざ作った隕石」であった。今でこそあれは北朝鮮なりの外交のやり方であり、むやみやたらに日本をビビらせようとミサイルを撃っているわけではないと分かる。しかし大越少年はそんなムツカシイ話を知る由がない。「どうしてそんなことするの!?」のそれだけであった。

 自ら滅亡、つまり死へ歩みを進めるような真似をする理由が、子供心には全く理解できなかったのだ。

 子供というのは、しばし純粋さの象徴として利用される。子供にボロボロの服を着せクマのぬいぐるみを持たせ、「どうして人を殺すの?」とでも喋らせれば立派な反戦広告の完成だ。当時、北朝鮮のミサイル開発に「?」をぶつけていた私も似たような「純粋さの武器」を持っていたとも言えるが、それをド直球に展開させて

「やっぱり戦争はいけませんねぇ。子供が一番わかっていますねぇ素晴らしいですねぇ大人の我々も見習わなくちゃいけませんねぇ(いかにも考えさせられていますぜ~という表情をしながら)」

と主張するようなことはしたくない。

 なんか、戦争ってそういうんじゃない気がするのだ。もちろん私は戦闘に参加した経験も戦火に包まれた経験もないため、現時点では「戦争」の本質なんて全く知らないガキにすぎないのだが。自分なりに戦争を理解しようと少し勉強してみて、今はその考えに至ったというだけの話だ。

 話を北朝鮮に戻そう。とかく私はミサイルが怖かった。あまりに怖かったので七夕の短冊に「テポドンが来ませんように」と書いたほどだ。ちなみに私はこのことをすっかり忘れていたが姉は覚えており、数年前に死ぬほど笑われた。怖かったのだからしょうがないではないか。むしろ私のおかげでテポドンが来なかったとも言えるので感謝するべきである。

 北朝鮮は恐怖そのもの。そんな国家の近くに生まれてしまった自分の運の無さを恨みもした。あの国家さえなければ自分の人生は薔薇色だったのに、とまで思うこともあった。なんと傲慢な。どこに生まれても大した人生ではなかろう。

 しかし、北朝鮮という国もなかなか変な立ち位置にいる。さまざまな国際問題を作っていて、決して日本と仲がいいとは言えない国なのにも関わらず、ネット上ではやれ黒電話だのコンギョだのとミームの対象となっている。感覚としては、「怒らせたらタダじゃ済まない先生を陰でイジる感覚」に似ている気がする。生徒である我々はコラ画像を大量に作り、先生の目に届かない安全地帯でイジりたいだけイジるのだ。そこに北朝鮮が好きとか嫌いとかの感情はない。

 変な立ち位置のお国であるが、それも私が北朝鮮からの実害を被っていないからであろう。ミサイルの他にも、拉致問題という大きな課題が残っている。北朝鮮をイジって笑えるのは、当事者になったことのない人間のみだ。そしてかつてはよく耳にした「実際に被害に遭った人の気持ちを考えろ」という倫理も、コンテンツの大量生産・大量消費が日々繰り広げられる現代においては通用しなくなっている。スピードが速すぎて、倫理が追いつかないのだ。金正恩のコラ画像で笑った者を悪人としてしまえば、世界はあまりに悪人で溢れている。


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