SDGsの香り #4「質の高い教育をみんなに」


 受験生ってきっと全員おかしくて、受験期と思春期と少しの厨二病が牢獄同然の自称進学校へ丸ごとぶち込まれてグツグツ煮込まれてるわけだから、そりゃあ鍋の側面にこびり付く焦げというかもはや排泄物というか、そういうのだって日々生まれては消えていく。ベランダに(わざと目立つように)捨てられた家庭科の教科書や、ゴミ箱に遺灰のように積み上げられたモンエナの山がそれなのだけど、似たようなモノがここにもあった。美術室だ。


 僕は手に持ったホウキを半ば投げるかのように床に倒し、パネルに書かれた文字を読んだ。ルーズリーフを雑に破いて二つ折りにして立てたそのパネルには、うっすいシャーペンの文字でこう書かれていた。


「システム英単語の一夜漬け」


 奥には、ヨレヨレカピカピになったシステム英単語(5訂版)が1冊置かれている。


 これが、もう来週に迫った文化祭用の展示であることは少し考えたら分かった。毎年美術部の人達がここで作品展示をしてる。


 ……でも、これは、作品? 


 ページの一枚一枚が干物みたいになったシステム英単語の造形は、どこか見覚えがある。

 ……あぁあれだ。キングダムの5巻。一度風呂に入りながら読んでいて、寝落ちして浴槽に落としたんだ。目を覚ましたら海洋ゴミみたいにプカプカ浮いていて、慌てて摘まみ上げてドライヤーで乾かしたらページ全部がゴワゴワになって綺麗に閉じなくなった。で、それ以降キングダムを読むのは止めたんだ。そもそもキャラの名前が覚えづらくてストーリーも良く理解できてなかったし…。


 それで、そのキングダム5巻と同じような状態になったこのシステム英単語。青色のカバーはヨレヨレで、薄いフィルム部分が剥離している。


 システム英単語の一夜漬け。作品。美術の知識なんて露ほどもない僕からしたら、こんなの英語の勉強が嫌になった生徒がむしゃくしゃしてやった不器用な反抗にしか見えない。システム英単語は学校指定の単語帳だし、授業の単語テストにもそのまま問題が出るし。それをこんな状態にしてしまうなんて馬鹿だ。


 こんなことをしている暇があったら勉強すればいいのに。親の言うことを聞けないガキじゃねえんだから。


 その「作品」を手に取ってみる。「漬け」ってことは、漬物か何かなのか?


 鼻を近づける。嗅ぎ慣れたインクの香りの向こうに、爽やかでみずみずしい香りを感じた。


 なんだっけ、この香り……。

 


 

 サイコー!


 私は帰り道にセリアで買ったデカめのガラス容器(たぶん、ピクルスとか作る用)に、沢山の思い出が詰まったご自前のシステム英単語を押し込んだ。


 そして、そこに入れますのは………


 モンスターエナジー! 緑のやつ!


 もちろんこれは、購買横の自販機で買ったやつ。そこ以外で買っちゃあいけません。私がこの作品を制作する文脈が失われちゃうからね。一応分かってんだー、そこんとこは。

 プルタブを押す。プシュッと、心地良い音。でもこれは世の受験生様たちの健康を搾取する悪魔の音! 


 せっかくだから一口飲む。


 ゴクリ


 うん、美味しくはないや。3本で足りるかな?


 計画を実行する前に、私は大きく合掌を決め込んだ!


「暑いときも、寒いときも、私と一緒に過ごしてくれたシステム英単語くん、ありがとう。満員電車の中で君を覗くとき、何だが自分がとても『受験生』って感じがしたよ。最初に新品の君が配られた時は、『なんだがカッコイイ本が来た』っつって勉強のやる気が底上げされる気がしたけど、月日が経ってボロくなるとそんな気分も薄れるもんだね。今となっては詰め込み教育の象徴にしか見えないよ。ロクに勉強をしないまま明日に迫った単語テストに備えるために、夜通し君のページをめくる日々にはもううんざりだ!この悪魔!じゃーね!ばいばい!」


 瓶のなかで窮屈そうに身体を折り曲げた彼に別れの挨拶を述べて、私はいよいよモンエナを強く握った。何回飲んだか分からない、その度に効果があったかどうかすらも分からないモンスターエナジー。ただ身体に悪いことだけは確実で、幼い高校生たちの脳内に「糖尿病」という不安要素を植え付ける偉業を成し遂げた清涼飲料水。


 午後9時24分。今から私は、この瓶にモンエナをぶち込む。分かってる。所詮は幼稚な、不良の真似事にもなってない馬鹿馬鹿しい行為だってこと。でもそれで良いのがアート。私は美術部所属。正々堂々アートを楽しむ権利があるし、正々堂々してなきゃそれは自由な生き方とは言えない。これがアートかどうかなんて議論はお呼びではない。アートは何でもありなんだし、私にしてみたらモナリザよりもモンエナに漬けられたシステム英単語を見る方がグッとくるから、これはモナリザを超えるアートなのかもしれない。


「ファイア!」


 私は両手に持った缶を傾けた。トポトポと小麦色の液体が流れ落ちる。炭酸の音が瓶の中で響き渡り、ページのすき間に小さな泡が侵入していくのが分かる!


 カウンター。これはカウンター攻撃だ。生まれてからこれまで武器すら持たせてもらえなかった私たちの、カウンター攻撃。

 


 

 あぁ、思い出した。この香り。モンエナだモンエナ。馬鹿なことするなぁ。漬物の「一夜漬け」と勉強の「一夜漬け」をかけたのか。

 ……これは、くだらないんじゃないか?


 俺は床に倒したままのホウキを手に取って、美術室を後にした。モンエナ。あんな身体に悪そうなもの、みんな良く飲めるよなぁ。

 


(おしまい)

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