高校時代、扉つきのロッカーが与えられました。1人1部屋(ロッカーの単位ってこれでいいのか?)を自由に使うことができ、中はぎりぎりカナリヤを飼えるかな~くらいの広さでした。
うちの高校のロッカーは灰色の金属でできており、その色の暗さは見ただけで気分が沈むようでした。思い返してみると、母校の廊下は1年を通してジメジメしていた気がします。暗い色したロッカーが並ぶとまるで「ホラー映画の舞台になった団地」みたいで、教育機関とは思えない不気味さを醸し出していました。
皆さんの学校にも、同じような「扉付きのロッカー」があったと思います。どうでしたか? 扉付きのロッカーがある生活は。さぞ充実していたことでしょう。そうでしょうそうでしょう。
実は私、この「扉付きのロッカー」のことで1つ後悔していることがあるんです。今でも思い出すと心がキュッとしてしまい、浜辺に行って「嗚呼、扉付きのロッカーよ……」と涙を流してしまうほどです。
多少の誇張は含まれましたが、そのくらい後悔していることが1つあるのです。それは、
「ロッカーの中身で個性を表現すればよかった。チクショウ!」
という後悔です。
今思えば、扉付きのロッカーは学校内で唯一プライバシーが保護された空間でした。周りの目をキョロキョロ気にしなければいけない窮屈な学校空間で、ロッカーの中だけは自由! 自分の好きなように使うことが認められていたのです。言ってしまえば治外法権です。
それなのに私はその権利を行使することもせず、
「まぁ、ロッカーには教科書とか資料集を入れておけばいいサ……」
と、あまりに安直な選択をしてしまったのです。その結果出来たのは、なんの特徴もない雑多なロッカー。いちいち持ち帰るのが面倒くさいというだけの分厚い教科書やら資料集やらがギュウギュウに詰め込まれ、その上には鼻をかむための箱ティッシュが無理矢理押し込まれているという光景。一応整理はしていましたが面白みは全くなく、芸能人の自宅訪問でこんな感じの家が出てきたら撮れ高はまぁゼロだろうなぁといった具合。
クラスメートで本当にロッカーが汚い人がいたのですが、個性という観点ではその人の方が「良い」ロッカーをしていました。扉を開けたら教材やプリントやらがもんじゃ焼きのようにグチャグチャに詰まっていて、しまいにはロッカーの上まではみ出す始末。廊下の景観を損ねていたのは事実ですが、別にこれといって悪い気もしなかったのは、そこに輝かしいまでの「個性」が表現されていたからでございましょう。
あぁ、それに比べて私のロッカーときたら。何の特徴も無い、フリー素材のようなロッカーでした。もっと個性を表現し、開けただけで「やっほう!」と嬉しくなるようなロッカーに出来たはずです。
では、ロッカーで表現できる「個性」とは何でしょうか。
まずありがちなのは、「扉の内側に好きなアイドルの写真を貼る」という手軽な手法です。別にアイドルの写真に限定される訳ではありません。動物の写真でも、鉄道の写真でも、ハワイの写真でも良いのです。重要なのは、「自分の好きなものを置いておく」という行為。それこそ、個性の表現に繋がる第一歩といえます。
これくらいだったら、既に実行している人は多いと思われます。きっと私の通っていた高校でも、同じことをしていた人は何人もいたことでしょう。あんな陰鬱の塊みたいな雰囲気をしていたロッカーでも、開けてみたらその人の「好き」が詰まっている……。あぁ、なんと素敵な光景なのでしょうか。学校の抑圧にできる限り反逆し、毎日を少しでも楽しくしようとするその心意義はまさにアッパレ。この国の未来を託したくなるような希望の光さえ感じ取れます。それに比べて私のロッカーときたら。希望の光なんてないし、こんな奴に国を託したら国民はどんどん海外へ逃げて行くでしょう。
自分の好きなものをロッカーに入れる、ということなら別に写真である必要もありません。フィギュアとか、サボテンとか、壺とか、自分の趣味に合ったものを入れていいのです。ロッカーの中に収まる大きさという条件はありますが、逆に収まれば何を入れても良いのです。「これを入れたら教材とか入らなくなっちゃうな~」みたいな心配はしなくて良いです。私は声を大にして言います。
「教材なんて、入らなくて良い!!」
対して好きでもない教材を入れるために自分の「好き」を制限するなんて、そんな悲しいことはしちゃダメです。教材に浸食されたロッカーはまるで「好きでもない勉強をするために好きなものを我慢している受験生活」を具現化しているようです。ロッカーの中くらい好きに爆発させちゃって良いと思いません!?
ちなみに私がロッカーに置きたいのは、「シルバニアファミリー」です。授業で疲弊しきっている中、ロッカーを開ければショコラウサギの家族がティータイムを楽しんでいるのです。想像しただけでドキドキして、模試の判定とかもどうでもよくなっちゃいます。
中は芝生を敷いて、内壁には青空のシールを貼ります。家は二階建てくらいの赤い屋根のやつがいいでしょう。家具や小物を置いて、トイザらスで展示されているみたいな感じのジオラマをロッカーの中に出現させるのです。
ミニチュアというのは、飾っておくだけで心が踊ってしまうんだから不思議です。日常の有象無象がただ小さくなっただけで、どうしてあんなに魅力的になってしまうのでしょうか。清少納言も「かわいらしいもの」として「雛の調度(人形遊びの道具)」を挙げています。清少納言と同じセンスをしてるということで、思わず気が大きくなってしまう次第です。
あと欠かせないのが、夜間のライトアップですね。CMでは辺りが夜になったらハウスに明かりが灯る演出がありますが、現実のおもちゃはそうはいきません。でも、私はやってやるのです。放課後、窓の外が暗くなるまで自習に勤しんだ後、ロッカーを見ると光が漏れている……。気になって開けてみると、そこにはほんのりと明かりの灯ったメルヘン世界が……。
なーんて、素敵じゃありませんか。精神の荒れ果てた受験生たちは、このロッカーをみたらさぞ癒やされるに違いありません。金を取っても良いレベルだと思います。
シルバニアファミリーの他にも、作りたいロッカーの案はあります。いくつかご紹介しましょう。
・日本庭園風ロッカー。枯山水と岩を置き、苔を生やす。ドアを開けるとウグイスの鳴き声が再生される。
・アクアリウムロッカー。熱帯魚を飼う。
・クーラーボックスロッカー。コーラとアイスボックスを常備。販売する。
・調味料ロッカー。醤油や七味、塩こしょうなどの卓上調味料を常備。昼食時、クラスメートに使ってもらう。金を取る。
・キャンディマシンロッカー。10円を入れるとキャンディが出てくるあの機械を取り付ける。おそらく、模試の昼休みにバカ売れする。
少し商売味が強いラインナップでしたが、想像しただけで興奮してしまったのではないでしょうか。
ただひょっとすると、ここで挙げたようなロッカーを実際に作っていた生徒がいたかもしれません。普段は扉が閉まっているから気づかなかっただけで、私が通っていた学校にも個性派ロッカーが息を潜めていた可能性があります。
そう思うと私は、高校時代にタイムスリップして学校中のロッカーを開けたい衝動に駆られます。なまはげのような息づかいで、端から端まで余すことなく中を確認したい。そんな素敵なロッカーがあると分かっていたら、高校生活はもっと楽しくなったはずなのです。
しかし、過去にはもう戻れないし、現実でそんなことをしたら生徒指導室行きになることも確実です。私はこの欲求不満を抱えたまま、「もしかしたら……」とたまに公衆トイレの掃除用具入れを開けて生きていくしか残された術はないのです。