もしもアナタが、
「公園にある倉庫に、シルバーのスプレーで自由にラクガキしていいよ」
と言われたら、なにを書きますか?
自由に、と言われると逆に何を書けばいいか分からなくなってしまうのが、人間の不自由な性質です。持て余された自由の中で、いったい何を書けば良いのでしょうか。
あくまで「ラクガキ」ですから、近所の防災マップやオレオレ詐欺防止の川柳のような、誰かの役に立つであろう情報を書く必要はありません(あえて書くってのもアリですが)。自分が常日頃感じている思いや主義主張を書くという手もあります。「ウォシュレットを増やせー!」だの「Newdaysはもっと店内を広くした方がいいだろー!」だの、不平不満を書き殴っても良いのです。ですが、場所は公園の倉庫です。誰が見てくれるというわけでもありませんし、自分の考えを広く発信したいのであればインターネットの方が場所として適しています。
また忘れてはならないのが、ラクガキという行為が持つ「犯罪性」です。今回はどっかの偉い人に特別に許可されているようなシチュエーションですが、公共物にラクガキをするという行為は本来であればやっちゃいけないこと。罰せられます。ですので、「ラクガキ」といえど、実際にスプレーで書くときの心持ちは決して「ラク」ではないのです。社会の禁足地に足を踏み入れるリスクと、罪悪感と、少しの興奮を味わいながら、ラクガキをするのです。
そう考えると、ますます何を書けばいいか分からなくなってきますね。
ここで、誰かさんのラクガキを参考にしてみましょうか。私は一つだけ例を知っています。「公園の倉庫にシルバーののスプレーで」という条件で、誰かさんはこんなラクガキをしました。ご覧ください。
…………プラス!
これは、完全に「プラス!」です。つい最近なのか、それともずっと遡った過去なのか、時期は定かではありませんが、どっかの誰かが確実に「プラス!」とラクガキしたのです。公園の倉庫に、シルバーのスプレーで。
こちらのラクガキは、新宿のとある公園にて発見されました。貴重な参考事例です。じっくりと観察してみましょう。
まじまじと文字を見つめていますと、その独特のフォルムが印象に残ります。いわゆる「ストリートアート」的な、独自のデフォルメが効いている字体。「プラス」の平行な横線やそれぞれの文字の終点と始点が繋がっているのは、恐らく作者が意図的に施したデザインであり、控えめではありますがストリートアートとしての自意識が感じられます。
特に終点と始点の繋がりは我々の文字処理能力を一瞬戸惑わせ、見方によっては「ZZ人!」に見えたり、首を90度右に傾げてみたら「NNy!」にも見えるという、文字という枠に収まらない抽象度を手に入れています。
すると、「果たしてこれは本当に『プラス!』と書かれているのか」という不安が発生しますが、「ZZ人!」説や「NNy!」説の場合は右上にある「○」の説明ができないため、やはりここは「プラス!」と捉えるのが無難なようです。
また別の気になる点として、「!」の角度があります。こんなに傾いた「!」、アナタは見たことがありますか。私も今まで散々「!」を書いてきましたが、ここまで無理な姿勢を「!」に強要したことはありませんし、させようと考えたこともありません。だってこんなに角度をつけたら、それはもう「!」ではなくなってしまう気がしたから。
だって、今みなさんが読んでいるこの「!」は真っ直ぐでしょう。手書きで角度をつけるとしても、せいぜい5~30度ぐらいじゃないですか。45度を超えた辺りからはもう「!」として認識できなくなってしまうだろうと、これまでの人生で勝手に思い込んでしまっていました。
ですが、見てくださいこの角度。こんなに大胆な事をしているのに、「!」は「!」であり続けています。組み体操の扇における一番端っこの小学生のように、地面すれすれの位置でぷるぷると身体を震わせながら、奇跡的なバランスをとり続けています。彼の勇姿に乾杯っ。
しかしここまで「!」が角度をつけていると、果たしてこれが本当に「!」なのかという不安も浮かんできます。ラクガキ観察の場に作者はいません。正解のない考察のなか、いくつもの不安と対峙しなければならないのです。
「!」でないと仮定すると、カタカナの一部。考えられる説としては「プラフン.」説がありますが、プラフンってなんですか。プラスチックごみを人間が出す排泄物として捉えた「プラ糞」という新たな呼称でしょうか。ここもやはり、「プラス!」と捉えるのが自然だと思われます。
書かれている文字がどうやら「プラス!」で間違いないと確信したところで、いよいよラクガキ観察の秘奥とも言える領域に足を踏み込んでいきます。大丈夫ですか、みなさん。心の準備はできいますか。たかが道ばたのラクガキのために脳味噌をフル回転させる覚悟はできていますか。
ラクガキ観察の秘奥。それすなわち、この疑問に向き合うことです。
「この作者は、どうして『プラス!』と書いたんだ……?」
さぁ、作者の気持ちを読み取る、現代文の読解問題のような試みのスタートです。作者は正体不詳ですから、正解を本人に聞くことはできません。なので始まる前から迷宮入り確定。我々は一つの正解にたどり着くことなどできないのです。無力感に襲われる心地もしますが、自然科学の追究も似たような話です。いくら理論を構築したとて、それが神が用意した正解であるとは限らないのです。神が「違うんだけどなぁ」といえば違うのです。ラクガキ観察の場合は、ラクガキの作者が神です。軽犯罪を犯した神です。
少し話が脱線してしまいましたが、早速「プラス!」の謎を解き明かしていきましょう。
まず一つ考えられるのは、「機械操作の指示である」という説です。
この倉庫、というかロッカーというか物置の中に、公園の設備を制御するためのコントロールパネルがあり、ボタンなのかレバーなのか形式は分かりませんが、それをとにかく「プラス」の状態にさせなければいけない、という説です。
恐らく、この公園を管理するスタッフさんの中に何回言っても機械を「マイナス」の状態にさせておく人がいたのでしょう。それで、いちいち注意するのも嫌になったリーダーが倉庫の全面に「プラス (にしろって言ってんだろ)!」と書いたのではないか……、そんな説です。ラクガキの考察を深めた結果「これはラクガキではない」という結論にたどり着く、洞窟かと思ったらトンネルだったみたいな拍子抜け展開。これを「トンネル現象」と呼称することにしましょう。
一見すると信憑性がありそうな説ですが、写真を見るとまた新たな不安が発生します。
もう一度こちらの写真をご覧ください。少しだけ倉庫の扉が開いていますね。南京錠はありますが、全く機能していない。中にコントロールパネルがあるとしたら、これはあまりにも管理がずさんな気がします。
また、少し開いた隙間からホウキの先っちょが顔を見せています。とすると、これは中にマシンを格納しているような大層なものではなく、単なる掃除用具入れである可能性があります。
こちらは、少し離れた地点から撮影した写真です。「プラス!」と書かれた倉庫の隣に、「防災倉庫2」が設置されているのが分かります。
……マシンを格納するとしたら、絶対に隣の倉庫ですよね。大きいし、ちゃんと扉は閉まってるし、頑丈な感じがします。「プラス!」の倉庫なんて、イソギンチャクに隠れるクマノミのようであまりに弱々しい。しかも、隣の倉庫をよく見ますと「INABA」と書かれたシールが貼ってあります。あの有名なイナバです。100人乗っても大丈夫なやつです。それに対し、「プラス!」の倉庫のシールに書かれているのは「ヨド物置」の文字。素人が簡単に申していいのか分かりませんが、どうしても「ヨド」より「INABA」の方が強そうに感じてしまいます。
以上のことから、この「プラス!」の倉庫に何らかのマシンが格納されているとは考えづらいです。いやー、中を確認すれば良かったと公開しています。写真を撮った当時はそこまで頭が回りませんでした。とりあえず、「機械操作の指示である」説は間違いとしていいでしょう。
となると、やはりこの「プラス!」はれっきとしたラクガキでございます。おめでとう。嬉しいですね。
では、どうして作者が「プラス!」と書いたのか。またこの振り出しに戻ってしまいました。一歩進んで一歩下がる。ラクガキ観察には根気が要ります。
くどいようですが、我々が正解を知ることはありません。「もっとプラス思考で生きてけよ!」という激励のメッセージかもしれませんし、「本来プラスであったところをマイナスと書いてしまった! チクショー!」という、模試終わりの高校生の魂の叫びなのかもしれません。
ただ一つだけ言えることがあります。それは、恐らく「作者は元気であった」と言うこと。このとんがった字体と、「!」の角度。元気な人間じゃないと書けないはずです。我々はこのラクガキを隈なく観察することによって、どこかの誰かが不器用に発散した元気の欠片を少しの愉快さと共に享受することができるのです。これって、なかなかヘンテコで面白いコミュニケーションの形だと思います。
以上が、「プラス!」の事例でございました。長い考察でしたが、お付き合いいただきありがとうございます。
ここまでの事を踏まえて、もう一度お聞きします。
もしもアナタが、
「公園にある倉庫に、シルバーのスプレーで自由にラクガキしていいよ」
と言われたら、なにを書きますか?
すみません、またずいぶんと長い文章になってしまいました。今回はこの辺で終わりたいと思います。
この「ラクガキ観察学演習」は、不定期で更新される記事です。わたくし大越が道ばたで良い感じのラクガキを発見次第、こちらで報告いたします。
ラクガキ観察学、という名称を用いたのは、今回行ったようなラクガキ考察がどこか学問的な雰囲気をまとっていたのと、このシリーズを通してラクガキの体系化に挑戦してみたい、というのが理由です。時間が経てば消されてしまうラクガキをできる限り記録して、作者の思いを後世に伝えていきましょう。今回「トンネル現象」という用語が登場したように、ラクガキ観察学独自の用語も作っていきたいですね。名前をつけるのって面白いですから。
読者の皆さまも、街を歩く際にラクガキを探してみてください。題に「演習」と付けたのは、皆さまにもラクガキ観察をやってみて欲しいという意味を込めてのことです。結構楽しいですし、いい時間つぶしになりますよ。
それでは、この辺で。今回は「新宿の『プラス!』」の観察でございました。次回はどんなラクガキに巡り会えるでしょうか。お楽しみに!