SDGsの香り
まだ5月だというのに、この暑さである。教室では現代社会の授業が行われているが、気が滅入るほど暑いのにクーラーの点かないやるせなさと、そもそもこれが4限目という最も集中力の下がる時間だという事とで、生徒達の士気は確実に下がっていた。もちろん、それは教卓のすぐ前の席に座っている西尾尚樹も同じだった。
この高校に入学してまだ1ヶ月程しか経っていないこともあり、彼はモチベーションを保ったまま退屈な授業に食らいついてはいた。立派である。だが、それでもこの暑さはキツい。あと、空腹も限界。ただでさえ汚いノートの文字が、余計に汚くなっていく。汗によって手に教科書が張り付いてしまうのも、着々と彼をイライラさせる要因となっていた。
じっと時計を睨む。授業終了の12時まであと15分ほど。もう少しで、学校生活のオアシスである昼休みがやってくる。普段であれば、ここでラストスパートのエンジンが掛かって姿勢を正したりする。これまた汗で手にくっついた消しかすを払い、ノートの字のトメ・ハネ・ハライを意識したりする。
しかし、今日の西尾尚樹はそうならなかった。
理由は大きく3つある。
まず1つ目に、彼は今日昼食を持ってきていない。これはあまりにも巨大な問題である。正確には、「持ってくるのを忘れた」のではなく、「買ってくるのを忘れた」のだ。彼の両親は共働きであり、2人とも朝早くに家を出てしまう。家族みんなで食パンにバターを塗る、そんなドラマのような朝食の時間など過ごすことなく、食パンは基本的に1人でかじる。出勤前に弁当を作る余裕などないため、彼の両親は月初めにドカッと小遣いを渡し、自分で好きな昼食を買わせる。それが、西尾家の制度であった。
尚樹は毎朝、学校に行く途中にあるコンビニに自転車を停めておにぎりやパンを買う。自分で好きな昼食を選べるため、本人もそれで満足である。育ち盛りの男子高校生にとって、添加物の美味しさは親の愛情に勝る。悲しいようにも聞こえるが、それも家族の形なのだ。
しかし今朝、彼はコンビニに寄る機会を逃してしまった。理由は単純。寝坊であった。あまりにも遅刻しそうであったため、コンビニに寄る時間などなかった。もちろん朝食も食べていない。彼の空腹は限界なのに、何も食料を持ち合わせていないのだ。授業中、腹の音を何回教室に響かせたことか。これが、理由の1つ目。
2つ目は、遠い国で起きた戦争である。今年の初め、名前を聞いても場所が思い浮かばないような国で戦争が起こった。どういった要因によって勃発したのか尚樹には分からないが、とりあえず5月になった今でも戦争は続いている。この戦争の被害は、以外にも身近な場所で現れた。購買からパンが消えたのだ。戦争によって、製造会社の輸送ルートが大打撃を受けた。その会社は戦争が発生した国から小麦粉の多くを輸入していたため、パンの製造量は激減。こんな田舎にある公立高校の購買に供給されるパンの数は、せいぜい教室の小さな机の上に収まる程度となった。購買ではパン以外の食品は売られない。また、昼休みにパンを買い求める生徒の数は大勢いる。つまり、購買でパンを買うことは困難を極める。恐らく、尚樹はチャイムと同時に教室を飛び出してもパンは買えない。残念ではあるが……。
3つ目は、彼がラグビー部に所属しているという過酷な現実である。入部の経緯を一言で言い表せば、「まんまと」である。放課後に昇降口で勧誘をしていた先輩に捕まり、気づいたらグラウンドに連れて行かれ、投げられたボールをキャッチすれば
「才能あるよぉ!」
と言われ、よく分からないままジャージでパス練習に参加させられ、ふと気づいたときにはラグビー部に入部していた。彼のロッカーには部員お揃いのエナメルバック(「Naoki N.」の刺繍入り)が入れられ、中には最近渡された練習用のウェアが畳まれている。入学当初は文化部に入ろうと思っていたのに、先輩達の真っ直ぐな熱気を前に入部を断ることも出来ず、プレーを褒められるのが嬉しい気もして、まんまと、である。結果、尚樹の高校生活はラグビー部の厳しい練習に耐えることがメイン軸となった。
以上の理由を総合的に考えると、尚樹に待っているこの先の運命は「朝飯も昼飯も食えず、空腹の限界を迎えた状態で、放課後ラグビー部のキツい練習に参加する」となる。
よって、4限終了まで残り5分となった今でも、彼は憂鬱であった。
現代社会の授業を受けている状況なので、尚樹は普段考えもしない国際情勢のことをぼんやりと考えていた。もちろん、戦争のことである。ちなみに授業では、戦争に関係無く教科書通りにSDGsの話をしている。
戦争の恐怖、というのは確実にある。遠く離れた国で起こった戦争といえど、この日本に生きていて恐怖を感じていない訳ではない。そこまで自分は平和ボケしていないぞ、という自負は尚樹にはあった。しかし、現在尚樹の脳内を占拠しているのはラグビー部の練習の心配のみ。遠い国で爆発するドローン爆弾より、ランパス(パスをしながらグラウンドを往復するメニュー)の往復回数や、一通り練習を終えた後の走り込みの有無の方が気がかりだった。戦争、と聞いて思い浮かぶ「地球は青かった」的な惑星としての地球のイメージと、自分が毎日汗を流しているグラウンドの風景が連続しているとは到底思えなかった。
このようなズレは、世界で多く発生している。戦争が起こったとて、日常会話で
「やばいね」
「ね」
という会話がなされるくらいであって、現に今現代社会の授業をしている吉田先生も、淡々と教科書の内容を進めているのみ。戦争の話はしない。唯一長々と話をしたのは数学の佐藤先生だけで、お偉いさんに対する文句をずっと言っていた。
どうしようもない現実を前にすると、教科書はやっぱり紙切れになってしまうのだ。
(続く)