ラクガキ観察学演習 #2「墨田のラブスポット」


 異常なまでの暑さに、私はすっかりやられてしまいそうです。蒸し暑い部屋の中、ダルい身体はマットレスに沈んでいくようで……。

 


 お久しぶりです。ラクガキ観察学演習のお時間です。都市に生まれては消えていくラクガキたちを記録・考察しようと試みる、勝手でナイスな挑戦の始まりです。

 


 詳しくは、前回の記事をご覧ください。とはいっても、あまり細かい方向性は定まっていない雰囲気ですが……。

 

 


 なんと、前回の記事が投稿されたのは6月4日。もう1ヶ月以上も前になるんですか。不定期更新とは言っても、ちょっと間が空きすぎましたでしょうか。皆さん、ラクガキ観察の炎は消えていませんか。消しちゃ駄目ですよ。今すぐ火を起こしてくださいね。

 


 いくら暑いからと言って、ラクガキ観察を怠ってはいけません。街のラクガキはずっと炎天下に晒されているのですよ。人間共よりずっと高温の状態を耐えています。あぁ、偉大なるラクガキ。その美しい姿、我々が称えずして誰が称えると言うのです!!

 


 それでは早速、今回のラクガキをご覧ください。外も暑いですが、こちらもなかなかアツいです……。

 

 

 

 

 今回、ラクガキが発見されたのはこちらの道。青空とアパートのコントラストが綺麗ですね。まさに夏! 蝉の声が聞こえてくるようです。ちなみに場所は墨田区です。東京スカイツリーを観光したついでに立ち寄れるんですねぇ。何ともありがたい。

 


 一見するとなんてこと無い道のようですが、左側の塀にご注目。少し近寄ってみましょうか。

 

 

 こ、これは……!

 

 

 大量の相合い傘ダァーーー!!


  
 みなさん、気づきましたでしょうか。この塀には大量の「相合い傘」が描かれてているのです。

 

 

 少し移動したところも、ご覧の通り。

 
 

 

 なんて密度だ。相合いしすぎ!

 

 

 こちらは少し引いたアングルです。いやぁ、圧巻ですね。カップルの象徴である相合い傘がこれでもかと並んでいます。一定の秩序を保って整然と並ぶその姿は、まるで「鴨川等間隔」のようです。近くに隅田川が流れていますから、こちらは「隅田川等間隔」でしょうか。いや、さほど等間隔って訳でもないですね。「隅田川ギュウギュウ」が丁度良いでしょう。

 


 いやぁ、発見したときは驚きました。「うおぁー!」と思わず声が出ちゃいましたもん。そもそも、野生の相合い傘が稀なんですよ。それが、こんな一カ所に、所狭しと……。今すぐ国をあげて保護するべきです。

 


 筆跡から察するに、この相合い傘群の作者は幼いお子様たち。大きくても、小学校低学年の子でしょうか。ハッキリとしたハートの輪郭と、それとは対照的なガシャガシャ文字の対比が美しい。「ラブ&ピース!」と叫ぶときの気持ちって、可視化したらこんな感じなのでしょうか。

 


 この文字の汚さ、「高ぶりすぎた愛」が原因だったらハートフルで乾杯なのですが、冷静に考えてみるとそうはなりません。文字が汚くなったのは、地面に垂直な面に向かって書いたからでしょう。思い出してください、初めて黒板に文字を書いたあの日の記憶を。チョークの制御が効かず、浜辺の漂流物のようにガシャガシャになった文字はまるで

 


「残念!(笑)」

 


と自分をあざ笑っているようでした。恐らくは筋力の未発達と不慣れが原因ですが、幼い子は黒板に文字を書くのが苦手です。無論、それは墨田の塀でも同じ。

 


 しかも、今回のラクガキはチョークで書かれていません。線の表面を見る限り、お子様方はそこら辺に落ちていた石ころを拝借して使用したと考えられます。石の表面がガリガリ削れて、塀に線を描いたのでしょう。また石ころはサイズが小さく握りづらいですから余計に文字を書きづらく、ガシャガシャ具合にはより一層磨きがかかるわけです。見返してみるとこのガシャガシャ、狙って出せるものではありません。パッと拾った道具で愛を表現した様は、まるでラスコーの壁画。この素朴さはきっと、全人類にどこか懐かしさを与えてくれるのではないでしょうか。

 


 学校からの帰り道、クラスの男子に片想い中の女の子がこの塀の前を通りかかります。見てみると、少し引いてしまうレベルの相合い傘の数々。もしかしたら、

 


「あそこの塀に好きな子との相合い傘を描くと恋が実る」

 


なんておまじないが学校で広まっているのかもしれませんね。とにかくその子は、騙された様な気持ちで、それでも心のどこかで神様からの視線を意識しつつ、塀に傘を描き足すのです。ぐちゃぐちゃな文字に恥ずかしくなりますが、自分にしか読めないくらいが丁度いいと思って、少し楽しい気分を背負って家路にもどるのです。赤いランドセルが跳ねていくのです……。うーん、良い。良いぞぉ。お兄さんは満足だぞぉ。

 


 この塀の向こうの壁にもラクガキはぎっしりと書き込まれています。しかも、こっちはもっとハートフルです。

 

 

 


 
 名前がガッツリ判別できるのでモザイクをかけていますが、「AはBのこと好き♡」と思わず笑ってしまうくらいド直球な宣言文が書かれています。通行人に向けて強制的に幸せのお裾分けをしていくスタイル、痛快で好きです。街中でイチャイチャするカップルなどどは比べものにならない見せつけっぷり。しかも長い間残りますからね。

 


 さぁ、こちらが墨田のラブスポット、名付けて「隅田川ギュウギュウ」でした。みなさんも墨田を訪れた際には、是非立ち寄ってみてください。良いですねこの連載は。1回ごとに聖地が誕生して。

 


 それでは、また次回。幼き愛に乾杯……。

 

 

 ……ではいけないのです。これはラクガキ観察学。あくまで「学問」です。

 


「相合い傘がいっぱい! キャー///」

 


でとどまってはいけないのです。このラクガキが描かれたのはどうしてか、客観的な考察に踏み込んでく必要があります。

 


 まず、「相合い傘」が書かれる状況を今一度考えてみましょう。

 


 先ほどまで、これらの相合い傘は「恋愛をしている張本人」が自ら描いたものと想定していました。幼いからこそ公共の場に名前を書くことに抵抗がなく、ストレートに愛を表現できるのだと考えていました。つまり、「傘下の名前のうちのどちらかに作者の名前がある」としていたのです。何の疑いもなく。

 


 しかし、子供というのはそこまで純情な人間でしょうか。自分の過去を思い返すと、そうではなかったと思います。少なくとも、自分の名前を記した相合い傘を描くことには恥ずかしさを覚えるはずです。

 


 そう。冷静に考えると、「相合い傘」を描くのはカップルの当事者ではないのです。


 相合い傘というのは、「なんか仲が良い気がする男女」「あいつらデキてるとからかう」ために「他人」が描くものなのです。もちろん、純粋な相合い傘も存在します。ですがその数はかなり少ないはず。特に、幼い子供のコミュニティの中では。

 


 身体も恋愛観も自意識も未成熟な子供たちにとって、「相合い傘」は単なるいたずらのツールでしかありません。アニメ「ちびまる子ちゃん」には黒板にまる子とはまじの相合い傘が描かれる回(「まる子、はまじとウワサになる」)が存在しますし、新海誠監督作品「秒速5センチメートル」にも主人公の貴樹とヒロインの明里の相合い傘が黒板に描かれるシーンがあります。もちろんこれもいたずら。しかも、「ちびまる子ちゃん」でも「秒速5センチメートル」でも、描かれた当事者はたまらなくなって教室を飛び出してしまいます。そのくらい攻撃力のあるいたずらなのです。ちなみに「秒速5センチメートル」では貴樹が明里の手を握って一緒に教室を出ますが、「ちびまる子ちゃん」では教室から逃げたのはまる子1人。残されたはまじの対応が気になりますね。

 


 以上の例から、「隅田川ギュウギュウ」に描かれた相合い傘群も、カップルとは関係のない「他人」によって描かれたものとするのが自然なのです。

 

 

 そう捉えてみると、この塀を「ラブスポット」とは思えなくなります。言葉が持つ凶器としての性質を理解しきれていない子供たちが生み出した、悪魔のような場所です。しかも、道沿いに堂々と。晒し首ならぬ晒し傘。あと、黒板なら消せますが、こういう壁に描かれてしまうと簡単には消せませんからね。あまりにも残酷。


 極めつけは、あの一文です。思い出してください。奥の壁に、「AはBのことが好き♡」と書かれていたことを。

 


 当初はドストレートな愛情表現だと微笑ましく捉えていましたが、考えてみればこの文章もおかしいのです。

 


 もし、この文章をA本人が書いたとしたら、Aは自分の名前なんて書かないはずなのです。「Bくん大好き♡」のように、Bの名前のみを書くはずです。しかも、こんなデカデカと、♡までつけて……。

 


 はい、もう分かりましたね。「AはBのことが好き♡」を書いたのはAでもBでもありません。Cです。Cの残虐性、なかなか目を見張るものがあります。

 

 

 

 さぁ、今回の「ラクガキ観察学演習」は以上になります。観察を深めていく前と後ではすっかりラクガキの印象が変わってしまいました。なかなかサイコでホラーな展開になりました。このような多面性がラクガキ観察の醍醐味でもあります。

 


 それでは、いつになるかは分かりませんがまた次回。みなさま、良きラクガキ観察ライフを!
 

 



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