そういえば私は、生まれてこのかた「幽霊」を見たことがありません。つい先ほどこの事実に気がついて、少しの驚きとともに、またつまらない人生を歩んでしまっているなァ……という寂しさに襲われています。嗚呼、空しい。
そんな空しさ、幽霊より怖いじゃないか。なーんて事を思ったりするのですが、ここから長い文章を書いていく手前、いったん幽霊の怖さにだけ焦点を当てていきましょう。濁流のように過ぎ去っていく人生の怖さをいちいち気にしていたらキリがないですからね。しかもこれは「現実逃避エッセイ」です。苦しい現実から匙を投げて、レッツ逃避。
さあ、先ほども言いましたとおり私は幽霊を見たことがありません。今までさんざん心霊番組でその存在を確信し、心霊写真や視聴者提供の粗いビデオに映る彼らの片鱗に恐れおののいては、「ワイプに映ってるタレントの顔の方が怖いワ」という親の小言を無視してきたのですが、私はこの目でしかとリアル幽霊を見たことがないのです。私が持っている幽霊像なんてのは、せいぜい貞子とか呪怨で培ったイメージであり、いわば「そっくりさん」を見て満足している状態です。「ご本人様」を見ていない。五木ひろしのモノマネをするコロッケを見て、「あれが五木ひろしなのだなぁ」と盲目的に満足しているようなもんです。本物の歌い方なんて知らないのに、コロッケの「ロボット五木ひろし」を見て「うわぁ、そっくりだぁ」と笑っている……。本人からしたら良い迷惑です。
てなわけで、私は幽霊を見たことがないんですけれども(話がまったく先に進んでない……)、これはつまり「霊感がない」という状態なのでありましょう。怖い話ではよく「霊感のある友人」なんて便利キャラが登場しますが、私にはそのような友人もいない……気がします。いや、分かりませんね。もしかしたら話していないだけで、実はめちゃくちゃするどい霊感を持った人が私の友人の中にいるのかもしれない。うまいうまいと家系ラーメンをすする私の後ろに、びじょ濡れの女性が立っているのを見たりしているのかもしれない。だとしたら食欲沸かないよね。ごめんね。
霊感を持っている、と豪語している訳ではありませんが、一応幽霊を見たことがあると言う人が私の身近なところにいます。それは母です。私の母は、幼い頃に一度だけ幽霊を見たことがあるそうなのです。
彼女が見たのは、「足だけの幽霊」でした。ふくらはぎあたりから下だけの幽霊が、夕方の山道に立っていたそうなのです。そしてすぐ逃げられたらしいのです。
小学生の頃にこの話を聞き、当時の私は「そんな幽霊もいるのかぁナムアミダブツ……」と寒気がしたのを覚えているのですが、最近になって友人にこの話をしたら
「ふつう逆だろ」
とツッコまれて目から鱗でした。確かに、一般的に幽霊とは「足がない」イメージです。逆なんです。足だけの幽霊なんて、余ったパンの耳で作ったお菓子みたいです。本来廃棄される部分を有効活用しましたみたいな、SDGs的発想。足のない幽霊の数だけ、足しかない幽霊が存在するのでしょうか。そもそも幽霊が足だけになる理由って何ですか。とりあえず足だけ成仏させときましょうって事ですか。花見会場の場所取りでリュックサックだけ置いておくみたいに、天国にはいっぱい足があるわけ? うーん、謎は深まるばかり。
足だけの幽霊というのも、母がとっさに作ったホラ話の可能性があります。真相は闇の中ですが、私がいつかぽっくり逝ったときに答え合わせができると思うと、何だかワクワクしてきます。
とまあ、唯一の心霊体験談もその信憑性が危ういというわけで、こうなればいよいよ幽霊の存在が疑わしくなってきます。かつては夏になると毎週のように放送されていた心霊番組も、最近はめっきり少なくなってしまいました。映像編集技術がトンデモなく発達した今の時代、いくら心霊映像を見せられたとて「どうせCGでしょう?」の一言が頭によぎってしまいます。素人でも簡単にそれっぽい映像を作れてしまう時代です。幽霊を探すより先に、「こいつ絶対演技だろ」だの「ここで1回カット入れただろ」だの映像のあら探しをしてしまう……。
なんとも風情もへったくれもない日本の夏になってしまいました。こんな具合だから日本人は夏に心霊で涼むことを忘れてエアコンを使いまくり、政府は電力逼迫の白旗を上げる羽目になるのです。私は怖いのが苦手なので、幽霊を見れないならそれで願ったり叶ったりなのですが、一度も彼らを見ずに人生を終わらせてしまうのかと考えると、それはそれでつまらない気がします。なので、できれば一度くらい幽霊を見たいんです。でも、怖いのは嫌なんです。そんな私は、いったいどんな状況下で幽霊を見るのが適切なのでしょうか。
一つ考えられるのが、「実は幽霊でした」パターンです。初っ端から
「ジャンジャジャーン! 幽霊でぇーす!」
って感じで最短ルートで呪いにかかるのではなくて、
「どうも、人間です。幽霊? さぁ、なんのことだか……そんなことよりソーメン食べません?」
みたいな、落ち着いていておしとやかで、何なら人間の体温すらも感じ取れてしまうような、温かみあふれる幽霊。彼と過ごした時間は、なんてことない夏の思い出。彼が実は幽霊だったと気づいた時、私はハッと青空を眺め、夏風にそよぐ風鈴の音にため息をつくのです。
イメージが共有できているか不安なので、もう少し具体的に話してみますね。
夏休み。実家に帰省した私は、「しばらく顔を見せていないから」と親戚の家へ連れて行かれます。高速道路を走る車の後部座席で、私はぼーっと車窓の山々を眺めます。
遠くに昇る入道雲を眺めながら、大学の友人たちのことを想像します。
「あいつは軽井沢に行くってのに、俺はド田舎の親戚の家かよ……」(こういうときって軽井沢かハワイですよね。なんとなく)
人見知りの私です。親戚の家にいったところで、一体なんの楽しみがあるというのでしょう。向こうからこちらへ与えられる質問は
「大きくなったなあ」
「大学では何をやっているんだ」
くらいで、それに答えたら後はぬるいコーラを飲みながらよく分からない甲子園を眺めるだけ。遠出してまで孤独を感じるとは何事か。
さあ、夕暮れ時になり、車はようやく親戚の家に着きました。昔ながらの和風建築の庭に、窮屈そうに車が停まります。砂利の上でタイアが擦れる音が、ひぐらしの声の中で鈍く響きます。
重い荷物を抱えて車を降りると、林に、山に、田んぼ。緑まみれの風景。親戚の家は坂の上に建っていますから、なかなか良い眺めです。
するとそんな風景の中、辺りとは少し違った雰囲気をまとった人影が坂を降りたところに立っています。
白いシャツを着た、背の高い男性。年は、たぶん若めで、二十代の後半とかそのくらいの……。短髪で、普段はしっかり会社で働いてんだろうなーっていう、爽やかな印象。そんな男性が、何も荷物を持たず、じっと立ってこちらを見つめているんです。その表情は柔らかくて、優しくて、それでいて少しの寂しさも混じっている表情でした。例えるなら、なんでしょうね……。卒業写真、みたいな感じですかね。
なんとなく私が会釈をすると、あちらも会釈を返してくれます。少しのコミュニケーションに満足して、私は親戚の家の中へ入ります。
親戚の家では、何もすることがありません。会話も案の定「大きくなったなあ」「大学では何をやっているんだ」以外に広がる気配は見せず、ただ目の前に用意されたお寿司を黙々と食べることに徹している私。コーラがちゃんと冷えていたのは嬉しかった。
さあ、ご飯も終わり、大人たちは酒に酔って声が大きくなっています。私は暗い和室に1人。畳で寝っ転がる私のすぐ横には、立派なお仏壇と盆提灯が何も言わずに静かに佇んでいます。特にこの盆提灯なんてのは、和紙を通した青白い光で部屋を飾ってくれます。へんぴな田舎に現れた、仏教のプロジェクションマッピング。
……まぁ、しょうがないことなのですが、いかんせん落ち着きません。人の家の仏壇の前に寝っ転がっていると、攻撃力の高いバチが当たりそう。Wi-Fiはありますが、せっかく遠出をしてきたのにTwitterを見るのも風情ないですし。
暇を持て余した私は、ちょっくら外を散歩してみることにしました。
虫の声がうるさいくらい響いています。ゆるい夜風に吹かれながら、タイアの跡を避けるように草の生えた小道をとりとめもなく歩いていると、突然横から
「ねぇ」
と声が聞こえました。パッと顔を向けると、先ほど坂の下に見かけた男性が座っていました。
「……はい」
「お父さんは元気?」
低い声です。でも、その顔は優しく微笑んでいます。
彼が言う「お父さん」とは、私の父のことでいいのでしょうか……。いまいち確信が持てませんでしたが、とりあえず私の知るお父さんポジの人間は全員元気なので、
「はい」
と答えました。
「そっか」
彼はそっと言いました。その声は夜に溶けていくようでした。
「今、大学生?」
「あ、はい。2年です」
「へぇ、良いなあ。いや、俺のときは大学なんて行かせてもらえなかったからさ」
立ち上がりながらそう言うと、彼は私の横まで歩いて来て、
「どう、楽しい?」
と、聞きました。耳をくすぐるようなその口調は、まるで私の父のようで、急に距離が縮まった感じがします。
大学生活。課題に追われてしんどい日は多いですが、ここは素直に「楽しいです」と答えておけば良いだろうと思って、頭にどっさりと浮かぶ苦しい現実たちにはいったんモザイクをかぶせて、
「はい。楽しいです」
と、念を押すようにゆっくりと言いました。
すると男性は、しばらく目の前の田んぼを見つめた後、
「じゃ」
と私の右肩を叩くのでした。
その腕からは、線香の匂いがしました。あと、少しだけタバコの匂い。
はい、と私が言うより先に、彼はさっさと歩いて行ってしまいました。どんどんと細くなっていく道の先へ歩いていく後ろ姿が見えるのですが、彼が向かう方向には家の灯りなどなく、それが少しだけ不気味に思えるのでした。
また1人になった私。思い出したかのように、うるさい虫の声が聞こえます。スマホを見ると、親戚の家を出てから1時間も経っていました。急いで帰らねば。
帰り道、田んぼに蛍が飛んでいたので慌てて写真に収めようとしたのですが、スマホのレンズでは蛍の微かな光を捕らえることができませんでした。
玄関の引き戸を開けると、まだ宴は続いているようです。うるさい声が聞こえます。皆がいる座敷に入ると、「ああ、そういえばこいつも来てたな」という感じで一斉に私に視線が集まります。
テーブルの上に切ったスイカが並べられているのを見て、テンションが今にも上がろうとしていた瞬間、
「おっ」
と、誰かが言いました。親戚のおじさんでした。私の父の兄にあたる彼は、ビールで目の下の辺りを桃のようにピンクにして、私をじっと見つめています。
いや、正確には、私の少し横のあたりを。
「幽霊を見たか」
えっ。
「肩、見てみろ。……そっちじゃない。右だ」
見ると、私の右肩がしっとりと濡れていました。「ほんとだ」
怖いものが苦手な私ですが、肩が濡れているだけという状況では驚くにも驚けません。どこか湿っているところに肩をぶつけたのか。私と同じように、部屋にいる両親と親戚たちも、特に驚いた様子を見せず、またスイカをかじり始めるのでした。
昨日の男性が幽霊だと分かったのは、翌日の朝でした。昨日はあの仏壇の部屋で寝たのですが、朝になって明るくなった室内を初めて見たとき、壁に掛けられた遺影の中に彼の写真があることに気がつきました。
その表情は、私が坂の下に立っている彼を初めて見たときと同じ、優しくも寂しげな表情でした。 あー、そうだったのか。仏壇に置かれた赤いマルボロの箱を見て、私は色々と納得するのでした。そういや今って盆だしなぁ。
蝉の声がうるさい中、風鈴は鳴ります。