逃げてドラ猫 #18「蜩害(前編)」

逃げてドラ猫のサムネイル画像

 

 ひぐらしの鳴き声ほど人の憂鬱を加速させるものはありません。

 


 夏の夕方、うす暗くなった家の中で「カナカナカナ……」と鳴くひぐらしの声を聞くと、それだけで気分が下がります。「きもきもきも……」や「うざうざうざ……」と言われるのと同じくらいの威力で、「カナカナカナ……」は聞く人の思考をネガティブにさせてきます。私も被害者の1人でありまして、夕方にひぐらしの鳴き声を聞くと、たとえ充実した昼間を過ごしていても「宿題やんなきゃなぁ……」と憂鬱になったり、しまいには「いつかは自分にも【死】が訪れるんだもんなぁ……」とメメントがモリしてしまったりするのです。「宿題」から「死」なんて、普段だったら絶対に通らない思考ルートだと思います。しかし、ひぐらしの鳴き声には「宿題」から「死」への直通連絡通路を開通させてしまうほどの負のエネルギーがあるんですよね。このエネルギー、発電とかに使えればいいんですが。

 


 思うに、奴の鳴き声は「終わりがやってくる焦燥感」を掻き立ててくるんですよ。昼間に鳴くなら私も呑気に鼻をほじっていられますが、一日の終わりに鳴くんだから鼻をほじっていられません。奴らの鳴き声は強力な「終わり」のイメージを持っています。そのイメージは麻薬的な連想作用を引き起こし、「一日の終わり」、「夏の終わり」、そして「人生の終わり」と、思考を悪い方向に連ねてゆきます。ひぐらしの鳴き声が響く中でジョギングとか始められますか? 無理ですよそんなの。

 


 私にとってひぐらしとは、「夏の終わりの夕方に鳴く」という印象です。夏休みがもうすぐ終わる……でもまだ宿題が残っている……すべてを誤魔化すためにアイスを食べる……。そんな全国の小学生たちに向かって、

 


「はいはいはいは〜〜〜い! みんないかがお過ごしぃ〜〜!? 信じられないと思うけど、夏、お・わ・り・ます!!」

 


「そんじゃ、鳴き声いきま〜す(笑) カナカナカナカナカナカナ!!!(終わり終わり終わり終わり終わり終わり!!!)」

 


と、信じられないほどの煽りプレイをかます蝉。それがひぐらしです。

 


 ですが改めて調べてみると、私が持っていた「夏の終わりの夕方に鳴く」という印象は間違っていたようなのです。ひぐらしは夕方だけでなく早朝にも鳴くし、しかも夏のけっこう始めの頃から鳴くとのことです。確かに思い返してみれば、まだ陽が昇りきっていない時間帯に尿意で目を覚ましたとき、ひぐらしがガンガンに鳴いていたような気がします。朝夕関係なく、とりあえず辺りが薄暗くなれば鳴くような奴だったのですね。それなのに一方的に「終わり」のイメージを押しつけてしまい、なんだか申し訳ない気持ちです。ひぐらしからしてみれば、「お前といると、なんか『終わった感』がでるんだよな」と非合理的に責められている状態であり、納得もいかないことでしょう。

 


 それでも、私はひぐらしから「終わり」のイメージを払拭することはできません。イメージがデータで覆ると思ったら大間違いです。信頼を失うのは一瞬ですが、それを再び取り戻すのはひどく困難であるのと同じ事です。

 


 1つ、私の中で印象的なエピソードがあります。いや、エピソードと言っては大袈裟かもしれません。ひぐらしの鳴き声によって、心が大きくかき乱された話です。

 


 小学生(おそらく低学年)の頃だったのですが、夏休みが終わる時期、地域の同級生たちと一緒にキャンプ場に出かけるイベントがあったんです。お泊まりをするわけでもなく、日帰りで1日遊んで帰るだけ。そこまで大規模な催しでもありません。

 


 しかし、先ほども書いたとおりそのイベントは「夏休みが終わる時期」にあったため、私の中ではとても重要な意味を持っていました。つまり、「これが終われば後はもう何もない」というイベントだったのです。そういう位置づけのイベント、皆さんの夏休みにも絶対ありましたよね!? 

 


「このお出かけが終われば、あとは残り数日の夏休みを消化して、学校に行くだけ……。あーあ、ゆるーい下り坂が待っているって感じだなぁ。宿題やりたくないなぁ。夏が終わっちゃうなぁ……」

 


 そんな物思いに耽ってしまう時間、子供時代にありましたよね!? 私も、この文章を書いて久々にこの生々しい感覚を思い出しました。

 


 この感覚に、当時の私は苦しめられたのです。キャンプ場からバスで帰宅し、家に到着。家の中は薄暗く、窓の外は真っ青な黄昏時です。

 


「あぁぁぁぁー。夏休み終わっぢゃううううぅぅぅぅぅ……」

 


 そんな憂鬱に苛まれている時、奴が来たのです。

 


「カナカナカナカナ!!」

 


 家中に響き渡る奴の鳴き声。時間の流れを無情に伝えるその声は、私の中でまだ小さかった不安や焦りといったものを肥大化させ、あっという間に景色を支配させてしまったのです。

 


「カナカナカナカナカナカナ!!」

 


 その日以来、という訳でもないですが、ひぐらしは夏の終わりの象徴。鳴き声を聞くと、悲しい気持ちに襲われるようになってしまいました。大学生の今になって改めて分析すると、あの日に感じた大きな不安の原因の1つに、「帰りのバスで『地獄先生ぬ~べ~』を観た」があると思います。私はその日初めてぬ~べ~を観たのですが、人体模型が魂を持って生徒達と友達になろうとする回で、めちゃくちゃ怖かったんです。人体模型は結局生徒達から気持ち悪がられ、1人寂しく理科室の入り口から左半分(人間の皮をまとっている部分)だけ身体を出して廊下を見つめるラストシーンで終わっていました。正直今でもトラウマで、どうして帰りのバスであんな怖い物を見せたのか、大人たちの神経が理解できません。もっとジブリとかドラえもんとかクレヨンしんちゃんとかあったでしょうに、「人体模型が魂を持って生徒達と友達になろうとするアニメのDVD」を持ってきて見せるという悪ふざけとしか思えないチョイス。夏の終わりに寂しくなっている子供達にトドメを刺そうとしたとしか思えません。

 


 ぬ~べ~効果もあり、ひぐらしの鳴き声は私に憂鬱を喚起させるものとなってしまいました。ぬ~べ~効果の有無に関係なく、ひぐらしの鳴き声を聞くと切ない気分になってしまう人はたくさんいると思われます。

 


 冷静に考えると、これってヤバくないですか? なんか、「日本の四季」ってことで許されていますけど、「聞いた人間を憂鬱な気分にさせる鳴き声を放つセミ」ですよ? 字面だけ見ると完全にUMAの類いじゃないですか。

 


「衝撃! 鳴き声を聞いた人間を憂鬱な気分にさせるセミは実在した!!」 

 


 こんなの、明らかに藤岡探検隊が登場します。でも実際、藤岡弘、がいてくれたら何とかなりそうな気もします。

 


 しかし現実には藤岡弘、はやって来ません。ヤクルトレディみたいに家に来てくれたら助かるのですが、残念ながら藤岡弘、とヤクルトレディには何の共通項もないのです。私たちは、夏の終わりに鳴り響くひぐらしの鳴き声を全身に浴び、ただウジウジと切なさを噛みしめることしかできないのです。夕暮れ時の寂しさに、ただ苦しむことしかできないのです。

 


 これってもはや、新しい「災害」じゃないですか?

 


 大量に繁殖した虫が引き起こす自然災害。大量発生したバッタが作物を食い荒らす「蝗害」のように、大量発生したひぐらしが人々の心をかき乱す災害。農作物ではなく、人々の精神に攻撃する災害です。ひぐらしは漢字で「蜩」と書きますから、言うなれば「蜩害(ちょうがい)」。なんか、ありそう。

 


 ここでちょっと、現実的な部分に目を向けてみます。

 


 心の健康、という言葉をよく聞くようになりました。言葉が広まるのは、その言葉が意味するものが社会の中で大きな影響力を持っているからです。現に、うつ病のような気分障害を患う人の数は年々増加しています。原因は本当に人それぞれだと思いますが、今の日本では心が少し不安定な人が増えているようです。

 


 厚生労働省は、うつ病を「極めて重要な健康問題」として捉えています。心の健康づくりが、国を挙げて取り組むべき課題になったようですね。

 


 もしも、この心の不安定さが今後ますます顕著になり、人々の生活や社会維持に大きな影響力を持つようになってしまったら。「心の健康づくり」が上手くいかず、免疫力が下がった身体がすぐに風邪を引くように、不安定な心を持った人が増えたとしたら。

 


 そしたら私、「ひぐらし」に対して、国が何か対策を講じるような気がするんです。だって、「聞いた人間を憂鬱な気分にさせる鳴き声を放つセミ」ですよ!? 明らかに厄介じゃないですか! ひぐらしを「人間社会を攻撃する害虫」と捉える可能性だって、なくはないんです!!

 


 しかし、ひぐらしを駆逐するのは違います。それは生態系を度外視した無責任な行為ですし、ひぐらしは日本の四季を彩る大切な存在ですから、国民もそのやり方には納得できないでしょう。人間のエゴですが、「そこまでやるのはかわいそう」という話です。

 


 なら、どうすればいいか。国民を憂鬱にさせる虫に対して、国はどう対策をうつか。そしてもし、何らかの異常気象によってひぐらしが大量に発生してしまったら……?

 


 いずれ来るかもしれない未来の話です。ちょっとシミュレーションしてみましょう!

 

後編へ続きます。

  


  



タイトルとURLをコピーしました