自分の感情を表に出すというのは案外大事なのかもしれない、と思うようになりました。
これは別に、私が一年中無表情で生活しているというわけではありません。むしろ表情は豊かな方で、マスクの下ではいっつもニコニコしています。本当です。
ですが、そんな私にも「表に出さないようにしている感情」はあります。皆さんだってそうでしょう。表に出すことが世間一般で良しとされていない感情ってありますよね。
例えば、怒り。これは別に表に出さなくていいやつです。街中でなりふり構わず怒っているオジサンとか、怖いですもんね。でも私、彼らの気持ちが分かった経験があるんです。それは高校時代の、模試を受けた日の帰りです。しょうもない点数しか取れなかった模試の帰りは、なりふり構わずブチギレたくなります。信号機に向かって「眩しいんじゃコンニャロ!」と叫び、NewDaysの商品棚を全て倒してケツだけ星人で踊りたくなる。そんな気分になるものです。もちろん、実行してはいませんよ。実行してたら私はもっと有名になっているはずです。
このように、怒りという感情はあまり表に出さない方がいいですね。自分の顔色を周りに窺わせるのってイヤだし。
では、私が「人類はこれをもっと表に出した方が良い!」と思っている感情は何か。
それはズバリ、「焦り」です。
この前、駅を出ると雨が降っていたんです。突然降り出した夕立で、それも結構強めの。私は得意げに折り畳み傘を取り出してマスクの中でニヤニヤしていたのですが、もし傘を忘れていたらマズかったなぁ……、と内心ではヒヤヒヤしていました。もし傘がなかったら、とりあえずフードを被って歩いていたか。もし走っちゃうと「ボク、傘忘れました! だから走ってるの!」って感じがして恥ずかしいしなぁ……。
そうしてバサッと傘を開いたその時、私は彼らをみたのです。
「○!△※#(¥$@■’’◎~~ッッ!!」
学ランをきた2人の中学生が、叫びながら走ってきたのです。なんて叫んでいるかも分からないくらい必死に。案の定、傘はさしていませんでした。ビショビショになった2人は無事駅に入ると、ゲラゲラ笑っていました。
駅を出てアパートまで向かう道中、私は彼らのことをずっと考えてしまいました。
容赦無く降る雨の中、ドタドタとうるさい足音を立てて走ってきた2人。言語化不可能な、ただ純粋な「叫び」を響かせて、めちゃくちゃ焦っています感100%で駅に入ってきた2人。「あいつら傘持ってねえんだな」と猿でもわかってしまう2人……。
…………ブラボーーーー!!
な、なんて、素晴らしい光景なんだ!!!
彼らは私なんかより、人間としてどこまでも素直なのです! 雨が降っていて「濡れるなぁイヤだなぁ」という感情を押し殺して生きたところで、それは人生から色彩を減らす無意味な行動でしかないのです! 「ギャAAAAAA!!!濡れるぅぅぅぅぅぅ!!!」と叫びながら、小さいカバンで頭を覆ったりなんかして走った方が、ずっと豊かな時間なのです……!
私は、自分が今さしている折り畳み傘をへし折りたくなりました。あぁなんなんだこの道具は! 私はこの日、あの2人の中学生に「負けた」のです。いや、敗北感すらなかったのかもしれない。だって私は、彼らにすっかり憧れてしまっているのだから……。
こういうわけで、私は確信したのです。「焦りは焦れるうちに焦れ」と。
もちろん、人前で思いっきり焦りを晒すのは恥ずかしいことです。ですが、先程のエピソードからも分かる通り、「焦り」という一期一会とも言うべき尊い感情を無視して生きていく方が、たった1回の人生を往く我々人間にとってはよっぽど恥ずかしい気がするのです。
焦りは焦れるうちに焦れ!
僕自身、焦りを押し殺して生きてきました。「The・焦り押し殺し」の多い生涯を送って来ました(太宰治風)。
実際、焦りを全面に出した方が得をするケースというのは多々あります。代表的なのが、電車に乗り遅れそうなとき。あと1分で電車が発車するという状況で、本当は毛穴が蒸発するほど焦っているのにも関わらず、「コーヒーのことを考えていますが?」みたいな涼しい顔をして歩き、普通に電車に乗り過ごすことが多いです。
「いや、急いで走ればいーじゃん!」
と自分でも思うのですが、急いでいるところを人に見られるのが小っ恥ずかしくて、時分を偽ってしまうのです。
あと典型的なのが、やはり授業に遅刻しそうな時。街中で走るぶんには「急いでる」ことしか分からないですが、学校の敷地内で走っていると「授業に遅刻しそうだから急いでいる。計画性のないアホである」という詳細な部分まで確定してしまいます。となると、そこで走るのは拒まれる。なので限界まで早歩きをするのですが、そうなると「じゃあ走れよ」と一蹴されますし、それはそれで不自然なのです。
あと、課題の提出に遅れそうな時もそうですね。オンライン課題の提出は今日の日付が変わるまで……。本当は「うわー!」と叫びたいぐらいの浮世離れしたタイムスケジュールなのにも関わらず、しょうもないプライドが邪魔をして、計画性のない自分を認めることを避けてしまうのです。一旦風呂とか入ってしまうのです。
あぁ、こうして振り返ってみると、私は「焦り」を押し殺したことでかなりの時間を損してきたようです。泡のように消え去った私の時間に合掌。南無南無……。
し・か・し! 先に述べました通り、私は改心いたしました。
それでは皆さんご一緒にー!
「「焦りは焦れるうちに焦れ!」」
私は今後、何らかの事情で焦っている場合、その尊い感情を押し殺したりなどせず、全身全霊で焦っていくことに努めます。
例えば、目を覚ましたとき、「授業開始の10分前」だったとしましょう。
やけに目覚めが良く、スッキリとした気分でスマホのロック画面をしかと見つめると、そこには絶望的な時刻が。パチパチと数回瞬きをした後、私は開口一番
「うわ、やっば!!!」
と叫ぶのです。良いですねぇ。ちゃんと焦れてますねえ。
教科書をリュックに放り投げ、部屋干ししていたハンガーから適当に衣服を選びます。素っ裸で家を出ればそれはもう焦りポイントが高くて良いのですが、社会的にはよろしくないので自制します。
顔をバシャバシャと洗います。しかしここでポイント。寝癖を直してはいけません。勿体無いからです。朝につけた寝癖はその日の夜まで残ります。「私、今朝はだいぶ焦ってたんスよ~」というメッセージをさりげなく主張します。言うなれば寝癖は焦りの象徴。美しいのです。
なるべくドタバタと足音を立てて、「ヤバイヤバイ」と口ずさみながらアパートを出ます。
も、ち、ろ、ん、口には食パンを咥えています。咥え食パンは焦りの代名詞。ここを外すわけにはいけません。小麦の香りを風に吹かせましょう。
さあ、外に出ました。人目を気にせずに、しっかりと焦りましょう。横断歩道の信号が赤だったら、待ってる間はしっかり足踏みをしましょう。腕時計を見るとなお良いですね。
横断歩道が青になれば、思いっきりスタートダッシュを切るのです。そして長い長い道を全速力で駆け走り、大きく叫ぶのです。
「いっけなぁ~~い!! 遅刻遅刻ぅ~~!!」
美しい! 私は今、この世界で一番「生きて」いる!! この弾けるような命の反応は何よりも確実で、社会のしょーもないバランスをぶっ壊し、自我のビー玉爆弾を住宅街にぶちかますのです!! 走っているうちに「アヒィ」と転んでも良いでしょう。いや、転びましょう。積極的に転びましょう。
汗を拭い去ることも忘れて、教室までまっしぐら。ドアを開けると、授業開始1分前。
ドサっと席につき、最後の一言です。
「フー、ギリギリセ~~フ!」
以上が、私の理想とする焦りです。
ゴールデンウィークが終わってしまい、さぞ焦っている方も多いでしょう。焦っている自分に嫌気がさしている方もいるかもしれません。
ですが、私の言うように、焦りというのは素晴らしい感情です。いっそのこと、思いっきり焦ってみるのも良い思い出になるのではないでしょうか。
さあ、ご一緒に!
「「焦りは焦れるうちに焦れ!」」