逃げてドラ猫 #3「カメラロールは走馬灯」

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先日、スマホのカメラロールをひたすらにスクロールして、懐かしい写真を見つけては「懐かしいなぁ」と思う、そういう不毛な時間を過ごしてしまいました。

 

こんな時代もあったねぇ♪と中島みゆき気分で寝っ転がっていたら、気づいた時には夜中の12時。「ガーン。大学の課題が溜まっているのに、いったい何をやっているんだ」と自分自身に憤慨し、かといってやる気もなかったので、そのまま電気を消して布団を被りました。

 

私はいつも寝るときにグルグルと考え事をするのですが、この日はさっき眺めたカメラロールのことを考えていました。正方形の写真たちがスマホの画面いっぱいに並び、それらがスクロールでシューッと流れていく様子は、まるで命が尽きる前に見る走馬灯のようです。自分の記憶がJPEG形式で保存されて、スマホの画面を流れていく。ああ、なんと心に染みる光景であろうか……。

 

スマホを持ち始めたのは高校入学のタイミングですから、走馬灯といっても高1~現在(大学2年)の範囲しかカバーできていません。しかしそれだけでも結構なボリュームでお腹いっぱい。これに加えて中学校、小学校、幼稚園の記憶もある、という事実に「嘘!?」と驚くばかりです。

 

あ、ここまで当然のように「走馬灯」という言葉を使いましたが、そもそも本当に人生最期の瞬間に走馬灯なんて見るのでしょうか? 普段しょうもない夢(トイレ系が多い)しか見ない自分の脳みそが、死ぬ間際にそんな素敵な映像をこしらえるなんて到底信じられない話です。どっかのホラ吹き婆さんの嘘が、現代まで言い伝えられただけではないのでしょうか。

 

ですが、現代の科学技術の進歩を考えると、「走馬灯」を実際に見るのは可能な気がします。勝手なイメージですが、脳に電極をブッ刺して、たくさんコードを繋げていい感じに神経をコントロールすれば、走馬灯を見ることなんて案外簡単なのではないのでしょうか。

 

最近、なにかいい景色やいい経験をしたときに、「これは走馬灯候補だな」という感想を持つことが増えました。決してネガティブな思考ではなく、いつかやってくる最期を自分のオキニの風景だけで埋め尽くしてやりたいという貪欲な態度の表れです。どうせならエレクトリカルパレードみたいな走馬灯がいい。

 

僕のような願望を持つ現世の民は決して少なくないはずです。QOLという単語も認知されていますから。走馬灯の質はQOL(Quality of Life)ならぬQOE(Quality of End)。「終わりよければすべて良し」という言葉も示す通り、QOEを高めればQOLもうなぎのぼりなはずです。

 

それを考えると、そう遠くない未来に「走馬灯をあらかじめ自分で設定」する時代がやってくる気がしませんか? 脳をセンスいい感じに改造して、自分好みの走馬灯が見れるようにカスタマイズするのです。まるで動画編集をするかのように。

 

そもそも、走馬灯で何の記憶を見るかという重要な選択を自分でできない現状がヤバいのですよ。どうします? ランダム再生だったら。今までの人生で過ごした時間がランダムで選択されて、例えばベッドの上で鼻でもほじりながらネットサーフィンをしている記憶なんかが再生されたら僕は成仏しません。激しい後悔と共にこの世に残り、地元で有名な幽霊になってやります。

 

他にも、先生に怒られている時の記憶とか、耳鼻科の待合室でめっちゃ暇な記憶とか、レンタル落ちした中古DVDをワゴンでひたすら探っている記憶とかを見せられる可能性もあるわけです。感動的なBGMと共に。そんなん見せられるくらいなら、たとえ人生最期でもYouTubeを見た方がいささか気分が晴れます。

 

試しに、スマホを使って試験的にやってみましょうか。では、カメラロールからランダムに3枚の写真を選んでみます。例えば僕が今すぐ雷を喰らってこの世を去った場合、こういう走馬灯を見るわけです。

 

 

最悪。数学の記憶をわざわざ思い出させ、気持ちの悪いマスコットキャラを見せつけ、最後はなんで撮ったかも覚えていない地元のトイレで終わる貧相な走馬灯。すぐにでも生き返って絶対に沖縄とか行こう。

 

こういう風になるのも、全ては「走馬灯を自分で決めることができない」からなのです。ですからやはり、人類はさっさと走馬灯のメカニズムを解明し、コントロールする技術を身につけるべきなのです。そうすれば、我々は満足して成仏を受け入れることができるのです。

 

だが、しかし……。

 

走馬灯を編集するの、めっちゃ金かかりそうだよなあ……。脳改造の手術費が税金でまかなわれたりはしないでしょうね。「治療」ではなく、自分の望みを叶えるための手術ですから。当然、自分でお金を払わなければいけないでしょう。

 

多額のお金が動くことを考えると、走馬灯はビジネスとして利用される可能性もあります。十分にお金が払えない人は、走馬灯の途中で広告が入ってくるのです。それこそYouTubeみたいに。人生の終わりに脱毛サロンの広告とか見せられて。「よっしゃ来世で脱毛しよっと」って切り替えは出来ないよなぁ……。

 

最近増えた、アンケートに答えるタイプの広告だったらいいかもしれませんね。

 

【あなたがこれから行くと予想している場所をお選びください】「1.最高の天国」「2.普通の天国」「3.普通の地獄」「4.最低の地獄」「5.無」

 

みたいな。自分の死生観をおさらいできるいい機会になりそうです。

 

走馬灯で自分の好きな記憶を見てさんざん盛り上がったとして、「ラストは何で締めるの?」という問題が発生します。うーん、悩ましい。これ最後大事ですよぉ。最期の最後ですからねえ。

 

やっぱ、ここは一つ王道として、「エンドロール」で締めるのはどうでしょうか。長い人生で関わってきた人たちの名前がズラッと出てきて、またしみじみと彼らとの思い出を振り返るのです。大半が「誰だこいつ」ってなる可能性はありますが、それはそれで一興。少し嫌いな人の名前もあったりね。良いことばかりが人生ではないのだな、という。

 

まあ、どのくらいの付き合いの人まで名前を載せるのかという疑問はありますが。道ですれ違っただけの人の名前とかは当然いらないですけど、よく行っていたスーパーの店員さんの名前とかは欲しい気がします。これは、人それぞれですね。

 

あとは、思い入れの深い場所がずらっと出てくるでしょう? あと、壮大なBGMもあって欲しいですね。木魚の音とかだったら最悪ですから、Spotifyのプレイリストであらかじめ指定できたら良いですね。それか、走馬灯専門の音楽家に頼みましょうか。

 

それで、お待ちかねの最後。最期の最後の最後に、「監督」的なポジションで一人の名前が入るのです。この人生の監督が、満を持して登場するのです。

 

そうです、自分の名前です! これまで数え切れないほどお名前欄に書いてきた自分のフルネームが、いよいよここで登場します。ああ、なんて綺麗な最後なんだ……。成仏待ったなし……。

 

「監督 パラレルライフ株式会社」

 

えっ?

 

  

 


 

目の前が一気に明るくなります。白衣を着た女性が、私の顔を覗き込んでいます。

 

「お帰りなさい、お客様」

 

真っ白な天井に、真っ白なシーツ。遠くで聞こえる誰かの話し声。ここは、どこだ。

 

「え、ここ、天国とかですか……?」

 

「ははは。みなさんそうおっしゃいます」

 

状況が飲み込めない私ですが、次の女性の一言で、全てを思い出すのです。

 

「あなたが先ほどまで体験していたのは、我が社が開発した『仮想人生シミュレーター』による仮想現実の世界ですよ」

 

ああ、そうだった。

 

「いかがでしたか、80年コースの仮想人生は。少し長かったですよね。安心してください。現実世界ではたったの1時間しか経っていませんから」

 

女性はそう説明しながら、プチプチプチ、と慣れた手つきで僕の頭部からコードを外します。

 

そうです。僕たちの人生、こういう可能性もあるわけです。

 

「はい、ゆっくりと起き上がってください」

 

私はゆっくりと身体を起こします。少しだけ目まいがします。

 

「では、本当の人生を楽しんでください」

 

帰り際、彼女はそう言って礼をしました。 

 

懐かしい外の空気に身を包んだ僕は、少しだけ諦めた気持ちになりつつも、本当の人生を歩み出すのです。

 

 

あー、そうだ。脱毛サロン、行ってみようかな。

 

 



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