逃げてドラ猫 #25「体調不良への憧れ」

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 最近また、忙しい日々が続いている。


 自分のキャパシティをいささか超えてしまっている気がする予定たちが積み重なっていて、「まぁ徹夜すれば一発っしょ」とロックを聴いて踊っていたら疲れて寝落ちしてしまい、事態が何も進行しないままスッキリ朝を迎えてしまうというような事が多発している。これで私の夢がロックミュージシャンだったら納得できるのだが、残念ながら将来ロックンロールをする予定は無いので釈然としない。いたずらに時間を浪費した馬鹿者となる。


 このような生産性がないくせに忙しい日々に追われると「ちょっともう勘弁してくれや」という声が自分の中で大きくなってくる。その声が2つ4つと増えていき、やがて野次が飛び交うブチ切れ国会のレベルにまで達したときに人は


「休日が欲しい」


と思うのだ。


 そうだ。私は休日が欲しくてたまらない。休日と言っても、土曜、日曜、祝日のような暦の上のみの休日ではない。そんなものがあったとて、どうせ何かしら予定が入ってしまう。私が欲しいのは、圧倒的な力を持った休日である。日々の時間の流れをニッパーでぶった切り、間に強制的な「休養」を発生させてしまうような強力な休みである。


 そのような休みは1つだけ存在する。お察しの方もいらっしゃるであろう。「体調不良」による休みである。


「おいおい。健康は何よりも尊いものなのに、なんて罰当たりな野郎だ!」


という声が、どこからか聞こえる。これは恐らく、今年の元旦にコロナウイルスに襲われて様々な予定をキャンセルする羽目になった私の声である。どうりで鼻声なわけだ。


 もちろん、体調を崩してしまえば休むどころではない。むしろ忙しい時期に身体を壊せば、周りに様々な迷惑をかけてしまうことになる。


 しかし、私は満を持して言う。


「うるせえ」


と。


「とんだ馬鹿野郎だ! 授業に公欠届を出して、もし上手くいかなかったら欠席扱いになるんだぞ! 単位に響くんだぞ!」


「どうしようもない阿呆だ! ぶっ壊れた身体を這いつくばらせてポカリを買いに行く辛さを忘れたっていうのか!」


 コロナを患った元旦の私が、痛む喉を顧みずに叫んでいる。私は、調子バツグンの健康な喉で叫ぼう。


「うるせえ!!」


 私はこれから、「体調不良で学校を休む日」を全力で憧らせてもらう。せわしない日々を過ごしていらっしゃる読者の皆さまも、ここらで少し現実逃避をしましょうや。


 体調不良で休むことが多かったのは、小学生のときだ。あの頃は毎年のように胃腸炎にかかり、まるで風物詩みたいだなぁ、と呑気な頭で考えていた。何度痛い目を見ても改善せずそりゃ胃腸炎にもなるわといった具合で、医者から胃腸炎と診断されたら逆にホッとしていた。これでは医者も診察のしがいがなかろう。


 胃腸炎の日の朝、まず感じるのは「なんか気持ち悪いぞ」といった異変である。身体が悲鳴を上げているのだから気づいて当然なのだが、異変を異変だと受け入れるまでに、私の場合結構な時間を要する。


 その理由として、まず私は朝に弱い。寝起きなんて基本的に気持ち悪いため、自分が感じている気持ち悪さが本当に胃腸炎によるものなのか分からなくなってしまうのだ。この場合、一旦冷静になって自分の体調を見つめなおすプロセスが必要になる。私は当時、小学生とは思えないほどの客観視をして、自分が異常かどうか判断をした。しかし大抵の場合「こんなに真剣に考えている時点で普段通りでは無い」というあっさりとした結論を迎える。


 汚い話になってしまうが、私にとって学校を休んで良いラインとは「嘔吐」であった。トイレに行って嘔吐をし、その旨を朝ご飯を作っている母に報告すればほぼ確定で「休み」となる。考えてみてほしい。普段見ることの無い身体の中身が、口からゲロゲロと出ているのである。こんなの休んでしかるべきであろう。私にとって嘔吐は分かりやすい「身体の異常」であり、私の親も嘔吐までした息子を無理やり学校へ行かせるほど物好きではなかった。


 私が学校を休むことが正式に決定すると、家の中はいつもとは違った忙しさに襲われる。学校や病院などに連絡をしてくれるのも母であった。気まぐれに体調を崩した息子のせいでここまで慌ただしくさせてしまっていることに申し訳なさを感じるが、かと言って私も病人なのでダラダラとZIPのエンタメニュースを観る権利はある。下手に動いて症状が悪化するといけない。しかし、母が私を病院に連れて行くために職場へ遅れて出社することを伝える電話をしているときは、さすがに心が痛んだものであった。


 ここまで来れば、私がその日一日を「休み」にしてしまえるのは確定である。あとは病院に行ったり学校の勉強をしたりと色々タスクはあるが、基本的にはベッドの上でゆったりとその日を過ごせる。私はいつも点滴を打てばケロッと回復していたので、昼過ぎには普通にうどんなどを食べることができる。そこまで持っていけば、あとはただの休日だ。平日を強制的に休日にしてしまう完全犯罪の成立である。


 今思えば、こうやって自分のために慌ただしく家族が動いてくれるのは大変ありがたい話である。いくら世話したからといって給料が発生するわけでもない息子を、よくもここまで丁寧に扱ってくれたものだ。


 一人暮らしを始めると、そんな扱いをしてくれる人がいないことが何とも寂しい。寂しいだけならまだしも、その寂しさが死へ直結することもあるので恐ろしい。もし自分が部屋でぶっ倒れても、一人暮らしなら誰も通報などしてくれない。寂しさと死が結びつくなんて、そんなの鬼に金棒ではないか。


 新型コロナに感染したときは本当に辛かった。限界を迎えた体調の中、自分1人で検査キットを買いに行かなければならないと知ったときは本当にドッキリかと思った。真夜中にうなされて起きても部屋には私1人しかおらず、話し相手も無く、無言で自分の体調に向き合うことしかできない。たとえ少し回復したとしても、未来の自分に丸投げした洗濯やら洗い物やらの雑事がそのまんま残っている。自分の尻拭いは自分でしなければいけない。


 そう考えると、やはり一人暮らしをする人間の体調不良は最悪だ。だいたい、学校への連絡も自分でしなければいけないではないか。体調不良で授業を休む場合は教授にメールを送らなければいけないのだが、それが何とも面倒くさい。本来、メールなんて体調不良の時には自分から一番遠ざけておきたい存在である。


 ここまで書いてようやく気がついた。むやみやたらに体調不良に憧れるのは止めよう。なるべく健康に気を遣って、身体は壊さないようにしよう、と。


 しかし溜まった課題を終わらせるためにはどうしても徹夜が必要であり、身体を壊すのは時間の問題である、というのが現状だ。

 

 



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