逃げてドラ猫 #10「屋上の秘密(後編)」

逃げてドラ猫のサムネイル画像

 こちらは「屋上の秘密」の後編です。前編をまだお読みになっていない方は、お手数おかけしますがこちらをバキッと押してください

 


 

 カラスに驚かされ、思わずレバーを下げてしまった私。

 


 まずいっ、と思い戻そうとしたが時すでに遅し。レバーを再び上げるにはロックの解除が必要なようで、いくら動かそうとしてもレバーはビクともしません。

 


「これは、正直に謝るしかないか……」

 


 ほぼ確実に下るであろう大説教に筋肉を萎縮させつつ、しっかりとロッカーの扉を閉めます。

 

 
 あぁ、屋上になんて上がらなきゃよかった……。いやでも、あれはカラスが悪いんじゃないか。何も真正面から人様に飛びかかることないだろう。私は被害者だ。悪くない……。 どこに活用できるわけでもない言い訳を膨らませながら、オレンジ色に染まる放課後をまた眺めます。

 


「あー。野球部、練習終わってる」

 


 かけ声が止まってました。体育館からもボールの音が聞こえてきません。それどころか誰の声も聞こえず、学校はしんと静まりかえっています。

 


 ……何だろう、この違和感は。

 


 グラウンドには、米粒のように小さな野球部員たちが散らばっています。

 


「…………」

 


 誰も、何も言わない。休憩してる、というわけでもないみたいです。だってみんな、立ったままなんですもん……。

 


「えっ」

 


 私はようやく、違和感の正体に気がつきました。

 


 野球部の動きが、ピタリと止まっていたのです。 

 


 それは野球部だけではありませんでした。急いで校舎に戻ると、空き教室でホルンの練習をしていた吹奏楽部の男子も、教室に残って数学の参考書を進めていた生徒たちも、自動販売機で午後の紅茶を買おうとボタンを押した女子も、まるで一時停止ボタンを押してしまったみたいに、全員が止まっていました。 

 

 校舎内は静かで、冷たくなっているのでした。

 


 私はすぐ、レバーを思い出しました。こんなの、絶対にあのレバーのせいだ。理屈は全く検討もつかないけれど、あれを下げたせいで学校の時間が止まってしまったんだ……。

 


 ど、どうしよう。止まってしまった生徒達は、趣味の悪いマネキンみたいで不気味です。今すぐここから逃げ出したい。突如壊れた日常は、独りぼっちの私に殺人的な不安を背負わせます。 

 


 廊下で1人パニクっていると、遠くの方から音がするのに気がつきました。

 


 コツ、コツ、コツ……。足音です。多分、革靴の。少し急いでる感じがします。

 


 革靴ということは、恐らく先生だ! まず、自分以外に動いている人間がいる事に安堵です。先生もまた、職員室でコーヒーでも飲んでいたら周りの先生方が突然動かなくなってビックリしたのでしょうか。

 


 少しずつ大きくなっていく足音をじっと待ちます。廊下では、白いノースフェイスのリュックを背負った女子が1人、今にも帰ろうと歩き出したまま止まっています。顔は私の方を向いていて、何も知らないような表情をしています。

 


「ここにいましたか」

 


 聞き覚えのある声でした。廊下の奥に立っていたのは、校長先生でした。毎日同じスーツに身を包んでいる、白髪の目立つ先生です。彼が普段どんな業務に徹しているのか分かりませんが、こういうときに学校の長が来てくれるのは幾分頼りになります。

 


「校長先生! すみません、僕……」

 


「いいですいいです。分かってます。屋上のレバーを倒してしまったんでしょ? たまにあるんですよ」

 

 
 たまに、という言葉が、ささくれのように引っかかりました。こんな事が、今までに何回か起こっていたのでしょうか? 人の動きがみんな止まり、学校中が静寂の一色に染まるこんな出来事が。少なくとも、私がこんな経験をするのは入学して以来初めてです。

 


 先生は、ゆっくりとこちらへ歩いてきます。腕をしっかり組んでいました。でも、怒っている雰囲気は無い。お医者さんのような、ただ黙っている顔。元々、あまり感情を表に出さないイメージがあったのですが、そのイメージ通りの佇まいで、窓の外を眺めながらゆっくりと歩いてきます。

 


「すみません、これってどういう……」

 


「これっていうのは?」

 


 先生はすぐに聞き返してきました。まるでマニュアルがあるかのようでした。

 


「この、時間……止まってますよね」

 


「あー、」

 


 先生は、すっと歩みを止め、

 


「止まってませんよ」

 


と言いました。

 


 私は条件反射的に

 


「そうなんですね……」

 


と答えました。

 


「見てなさい」

 


 先生の少し強くなった口調が廊下に響きます。

 


 先生は、ちょうど自分の横にいた女子、ノースフェイスのリュックを背負い、歩き出したままの状態で止まってしまった女子の方を見やると、ぽん、とその肩を押しました。

 


 
 ガシャーン。

 

 

 その女子は全身を硬直させたまま、床に倒れました。

 


 頭がとれました。

 


 私はそれを見て、何も考えることが出来ず、意識がずっと遠くの知らない場所に逃げていってしまったようで、呆然と呼吸をすることしかできなかったです。 

 


 バイクが走って行く音が、窓の外から聞こえます。確かに、時間が止まっているわけでは無かったのです。止まっていたのはこの学校の中の人だけで、大通りを走る車や、空を飛んでいるカラスは止まっていなかったのです。

 


「時間が止まってるのではなくて、彼らが止まっているんです」

 


 転がっている女子の首から、赤と青のコードが無数に伸びています。それらのコードは胴体に繋がっていて、頭と身体をギリギリつなぎ止めています。

 


 彼女は、

 


「ロボットなんです」

 


 ため息交じりの声でした。

 


「彼女だけではありません。この学校の生徒、教職員は全員です。もちろん君も、私も」

 


 この人は一体、何を言っているんだろう。この学校だけ異世界に飛ばされてしまったかのようです。私がロボットだなんて信じられません。今感じている激しい鼓動が、人の手によって作られた無機的な現象だとは到底思えないのです。

 


 でも、目の前に立つ校長先生の顔は真剣そのもので、冗談を言っている風には思えませんでした。

 


「君が下げた屋上のレバー。あれは、この学校にいる全員のオンオフを切り替える主電源です。管理者権限として、校長である私と、レバーを下げた本人の電源は落ちないようになっていますが」


 先生は集会の時と同じオジさんじみた口調で説明しながら、スタスタと私の横を通り過ぎました。彼が屋上の方に向かって歩いているであろうことは、直感的に分かります。私は何も言わず、というより何も言えないまま、彼の後ろをついて行きました。

 


「私はずっと言ってるんですよ、レバーを屋上に置いておくのは危ないって。今日みたいな事が起こってしまうでしょう? 立ち入り禁止のチェーンをつけたところで、余計に気になってしまうのが若者の性ですからね。今年でもう4回目ですよ」

 


「えっ、4回目、なんですか」

 


 先生は階段を上っていきます。

 


「そうですよ。君はこれまで3回止まっているんですよ? 気づかなかったでしょう」

 


 君はこれまで3回止まっている。気持ちの悪い文章です。寒気がしました。これ以上思考を進めてしまえば、私はきっと正気ではいられなくなってしまう。そんな気がして、私は頭をフワフワさせたまま、それでも階段を上り続けました。

 

 


 そして、屋上にたどり着きました。頬が風に冷やされていくのを感じて、やはり時間は止まってなどいないことを再確認します。止まっているのはこの学校の中の、人だけ。でもそれは時間が止まっているよりも不気味で、ならばいっそのこと時間が止まってしまっていた方が気持ちは楽だと思います。時間がいつも通り進んでしまっていることは、この世界が現実であることを生々しく証明してしまっているのです。

 


 ハシゴの前に到着です。ついさっき私が外したチェーンが、その時よりも少し鋭くなった夕日に照らされています。

 


「やっぱ、外したくなりますよね。もっと頑丈な作りにした方がいいんですかね。でも、それだと緊急時に入りづらくなるんだよなぁ……」

 


 先生は力なく垂れ下がったチェーンを掴んで、私の方を振り向き、

 


「じゃ、このことはもう忘れてくださいね。世界がまっすぐに進むための、秘密です」

 


と真顔で言いました。業務連絡的なその口調は、彼が同じセリフを他の生徒に何度も言ってきたことの現れでしょう。

 


「はい……」 

 


 でも、忘れられるはずがありません。こんな出来事。夢だと思い込むしかないのでしょうか……。

 


 先生は、そんな私の疑問を知っているかのように、

  


「大丈夫。こっちでやります」

 


と言って、私の右耳に手を伸ばしました。

 


 思わず肩を跳ね上がらせた私を気にする様子もなく、先生はカサカサした手で私の耳たぶ辺りを探ります。

 


 そして、ギュッと押すのです。

 

 

 カチッ。

 

 


 目を開けると、教室でした。私は自分の席に座り、眠っていたようです。他に誰もいない、静かな教室です。

 


 遠くから、吹奏楽部の練習が聞こえてきます。空いている教室で個人練習をしているのでしょう。曲にはなっていませんが、金管楽器の音というだけで素人には格好よく聞こえます。

 


 私は、何をしていたのでしょうか。普段、机で寝る事なんてしないのに。どこかぼんやりと違和感があるのですが、その正体は掴めません。授業が終わって、放課後になって、それで……何も思い出せません。

 


 ただ、やけにスッキリしているのです。なんというか、快眠? 机に頭をつけて寝ていたのに、おでこは全く痛くなく、座席もひんやりとしていて気持ちが良い。

 


 とりあえず、帰ろう。私は教室を出て、昇降口へと階段を駆け下ります。

 


 昇降口では、同じように帰ろうとしている女子がいました。重そうなリュックを背負っています。肩がこっているのでしょうか、首の辺りを痛そうにさすっています。勉学に追われる高校生は、大変ですね。

 


 駐輪場に向かう途中、野球部のかけ声が聞こえます。グラウンドで汗を流す彼らと、リュックに参考書を詰め込んで今から家に帰るだけの私。年齢はさほど変わらないのに、芯の部分では全く異なっている気がします。

 


 あぁ、受験だなぁ。夏を制するものは受験を制す、そんなスローガンを何度も聞かされてきましたが、いよいよ夏がやってきてしまいます。

 


 このままの自分で夏の暑さに飛び込んでしまって良いのか、自問自答を繰り返してしまいます。なんか、スイッチを切り替えるように、私の気分も変わってくれないだろうか。

 


 ……屋上とか行ったら、人生観変わっちゃうかなぁ。変わるだろうなぁ、さすがに。

 



 

タイトルとURLをコピーしました